【小説】あの夏の光(16)『物語リクのスケッチブック「ガラクタの星空と二人の法則」』

小説

『物語リクのスケッチブック「ガラクタの星空と二人の法則」』

リクの脳裏に、あの老人のしわがれた声が蘇る。
彼は別れ際、ニヤリと悪戯っぽく笑いながら、「面白い“足跡”が、見つかると、いいな」と言って、この一枚の古い地図をリクたちに託したのだ。

リクとヒカリは、その地図を頼りに歩き続けた。
二人が目指したのは、「王道の地図」が示す輝かしい大通りでも、「心のコンパス」が指し示すか細い路地裏でもない。
地図の上に、まるでインクの染みのように記された、忘れ去られた場所。
かつてこの街のすべての物語が、その役目を終えて眠りにつくという最果ての地、「ガラクタの谷」だった。

谷の入り口に立った時、リクは息を呑んだ。
老人の言っていた「足跡」の意味を、肌で理解したからだ。
そこには、僕たちが知る「地面」は存在しなかった。

視界を埋め尽くしていたのは、かつて誰かの「宝物」だった残骸の海だ。
塗装が剥げ、赤茶けた肌を晒すブリキのロボットは、動かない手で虚空を掴もうとしている。
持ち主を失い、片方だけになった手袋は、凍えた指先の記憶を抱いたまま泥に塗れていた。
割れたステンドグラスの破片、音の出ないラジオ、ネックの折れたギター。
それらは月明かりの下、鈍く、悲しげな光沢を放っている。
リクの「目」には、それらがただのゴミには見えなかった。
モノの輪郭にこびりついた、微かな光の澱。
それはまるで、地上に墜落し、砕け散ってしまった星々の死骸のようだった。

「すごい……」
ヒカリが囁いた。
彼女の「耳」には、この沈黙の谷に満ちる、無数の「声なき声」が聞こえているのだろう。
「探そう、リクくん。この沈黙の海の中に、きっとあるはず。誰かの、大切な『足跡』が」

二人は、錆と埃の匂いが立ち込めるガラクタの山をかき分け始めた。
ヒカリの「耳」が、風の音とは違う、微かなメロディーの残響を捉える。
彼女がその場所を掘り返すと、泥の中から、歯車の欠けた小さなオルゴールが現れた。
彼女が錆びついたゼンマイを巻く。
『ド』 たった一音。
澄んだ、しかし酷く孤独な音が響いた。
同時に、リクの「目」は、色褪せた木箱に残る古い写真を見つめていた。
顔も判別できない家族写真。
そこから放たれるのは、消え入りそうな残光だけ。
音は単音。
光は残光。
その物語の全体像は見えない。
僕たちは、本当に、誰かの「足跡」を見つけられるのだろうか。

さらに、ガラクタの海をかき分ける二人の前に、一台の書見台が立ちはだかる。
真鍮の金具が鈍く光り、前例のない侵入者を拒むかのように、そこには厳格な静寂が漂っていた。
それは冷たい拒絶ではなく、そこに眠る物語を誰の手にも汚させないための、誇り高い沈黙のように見えた。
この場所を守り続けてきたのだ。
形なき想いたちが霧散してしまわないよう、重い木製の台が、重力となってこの谷を繋ぎ止めているようだった。

リクが不安に駆られ始めた、その時だった。
ヒカリが再び、そのオルゴールに指をかけた。
リクもまた、木箱に宿る光の正体を確かめようと、無意識に手を伸ばした。
ヒカリの指と、リクの指が、偶然、同じオルゴールの上で触れ合った。

その瞬間、世界が爆ぜた。
リクの脳内に閃光と共に鮮明な「映像」が奔流となって流れ込む。
――知らない部屋。窓の外には降りしきる雪。
ベッドの上でオルゴールを抱きしめる少女の、花が咲いたような笑顔。
病気の母親にそれを聞かせる、小さな指の温もり。
そして、母親が旅立った日の、冷たい雨音と慟哭……。
「あっ……!」
リクが声を上げるのと、同時だった。
「聞こえる……!」
ヒカリが目を見開く。
「『ド』の音だけじゃない。全部……このオルゴールが昔奏でていた、優しくて、悲しいメロディーが、全部聞こえる……!」

二人は弾かれたように顔を見合わせた。
今、起きたこと。
それは「断片」ではなかった。
リクは「物語の映像」を視て、ヒカリは「完全な楽曲」を聴いた。
「……そっか」
ヒカリが確信に満ちた声で言った。
「わかったかもしれない。リクくんの『目』と、わたしの『耳』。別々だと、ただの光と音の欠片しかわからない。でも……」
彼女はリクの瞳をまっすぐに見つめた。
「二人が一緒に、同じものに触れると……そのモノが持っている『本当の物語』が、蘇るんだ!」
かつて街灯の下で感じたあの感覚は、偶然ではなかったのだ。
二人の感覚がシンクロした時、世界の隠された道筋が、光と音になって顕現する。
「導かれていたんじゃない」
リクは、自分の掌を見つめた。
「僕たちが、道を、照らし出したんだ……」

謎は解けた。
二人はもはや、不完全な迷子ではなかった。
その確信を胸に、二人の「修復」作業が始まった。
それは、ガラクタ集めではなく、魂の鎮魂だった。

リクが瓦礫の隙間から、古びた金属片を拾い上げる。
緑青が浮いた、青銅色のペーパーナイフだった。
ヒカリがそっと、その柄に手を添える。
とたん、リクの視界に薄暗い書斎の風景が浮かび上がり、ヒカリの耳に紙が擦れる音が響いた。
『スーッ』 封筒の端を丁寧に切り取る、心地よい音。
インクの匂いと、ランプの灯り。
このナイフの持ち主は、一人の男だった。
彼は幼い頃に生き別れた妹と、生涯にわたり、手紙だけで心を通わせていたのだ。
遠い異国からの、妹の筆跡。
「元気ですか」
「会いたい」
その文字をなぞる男の、節くれだった指。
このペーパーナイフだけが、離れ離れの二人を繋ぐ、唯一の架け橋だった。
年月が過ぎ、男の背中は丸まり、手紙の束は山となった。
けれど、運命は最後まで残酷だった。
男が息を引き取るその日まで、二人が再会することは一度もなかったのだ。
会いたくて、会えなくて、それでも互いを想い続けた、何十年もの孤独な夜。
そのすべての「想い」が、この青銅の刃には染み込んでいた。
「……悲しいね」
ヒカリが涙声で呟いた。
「でも、温かいよ」
リクは答えた。
会うことは叶わなかった。
けれど、ここにある絆は本物だ。
二人の手が、ペーパーナイフを包み込むように握りしめる。
その瞬間、くすんだ青銅色が、鮮烈なエメラルドグリーンの光へと変わった。

光は彼らの手から溢れ出し、夜空へと昇っていく。
それを合図にするかのように、谷中のガラクタたちが目を覚ました。
「見て、リクくん」
リクは息を飲んだ。
錆びた鉄屑は黄金色の光に。
割れたガラスはダイヤモンドの輝きに。
泥にまみれた紙切れは、銀色の羽根になって。
ガラクタたちは物理的な重力を失い、その身に宿していた「思い出」という質量の分だけ、軽やかに夜空へと舞い上がっていく。
地上が輝き、空へと還っていく。
まるで、地上のガラクタの山が、そのまま夜空の星々へと反転していくようだった。
「きれい……」

リクは空を見上げた。
それは、いつもの冷たく遠い星空ではなかった。
舞い上がった無数の光は、夜空に新たな星座を描き出していた。
あのペーパーナイフから生まれた緑色の光は、天の川のほとりで、もう一つのピンク色の光と寄り添うように輝き始めた。
地上では決して会えなかった兄と妹が、ようやく星空で再会を果たしたのだ。
「再会の星座」
「約束の銀河」
「愛の星雲」
二人がガラクタの中から救い出した、かつて誰かが生きた証たちが、今、永遠の輝きとなって頭上に広がっている。
不完全な僕たちが、不完全なガラクタに触れて、蘇らせた完全な星空。
リクの頬を、一筋の涙が伝った。
それは悲しみではなく、あまりの眩しさに溢れたものだった。
リクは生まれて初めて心から思った。
――なんて、美しい夜なんだろう、と。

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<夏休みのふたりだけ作業作業で、蒼太とひかりの距離は近づいていく>

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