★【小説】あの夏の光(18)ガラクタのブリコラージュ

小説

葛城先生との再交渉を経て、文化祭への道を切り拓いた蒼太。彼はひかりという「たった一人の読者」に向けた新章を書き上げ、Libからもその迷いのなさを称賛される。執筆の恐怖を克服した蒼太がアトリエで原稿を手渡すと、ひかりは作中の柳先生を見つけ、二人は心から笑い合う。物語が自分の鎧ではなく、他者の心に届く「声」に変わったことを実感した蒼太。二人の「閉じた星空」は、確かな希望を帯びて文化祭という外の世界へ向けて加速し始める。

ガラクタのブリコラージュ

あの日、ひかりが僕の物語の中の灰色の老人の正体を無邪気に見破り、僕たちが初めて声を上げて笑い合った、あの瞬間。
僕たちの「共犯関係」は、僕の予想を超えた熱量を帯びて一気に加速し始めた。
僕のガラスの内側の世界は、もう彼女にとって「秘密」ではなく、「共有された設計図」となったのだ。

彼女のリクとルカ(ヒカリ)に対する共感と、「老人の正体」という共通の笑いが、僕たちの間に揺るぎない信頼を築き上げた。
僕たちの共同作業は、笑い合ったその日のうちに、熱狂的な色を帯びていった。
だが、僕たちのその熱狂は、すぐに現実の冷たい壁に直面することになる。

「それでね、神木君」とひかりは急に真面目な顔になり、タブレットの画面を僕に見せた。
そこには、僕がスケッチブックに描いた『ガラスの部屋』のイメージを実現するためのアクリルパネルの販売サイトが表示されていた。
「…これ、見て。一枚一万円以上するんだって」
「え…」「僕たちのあの『ガラスの部屋』を作るには、少なくとも四枚は必要だから…四万円。照明や森の壁に使うベニヤ板も全部新しく買ったら、とてもじゃないけど…」

ひかりの声が不安に曇っていく。
僕たちの設計図。
僕たちの夢。
それが「予算ゼロ」というたった一言の現実の前に、あまりに脆く崩れ去ろうとしていた。
僕たちの小さな反乱は、最初の一歩を踏み出す前に、資金ゼロというあまりに現実的な理由で頓挫してしまうのか。
ひかりのその太陽のような笑顔も、少しだけ色褪せて見えた。

僕は黙ってスケッチブックに目を落とした。
描かれているのは、あの理想のガラスの部屋。
その滑らかで完璧なアクリルパネルの壁。
その完璧さが、今の僕たちには嘲笑のように見えた。
僕は逃げるように窓の外に目をやった。
いつもの僕の癖。
ガラスの内側から世界を眺める。
夕暮れ前の校庭。
用務員さんが古くなった木製の机や椅子を軽トラックの荷台に積み上げている。
おそらく、粗大ゴミとして処分されるのだろう。
校舎の裏手には、改築で取り外された古い木枠の窓ガラスが何枚も無造作に立てかけられている。

それは、僕がいつも見ている、何も変わらない退屈な学校の風景。
…風景。
いや。
違う。
僕の頭の中で何かが弾けた。
あれは、風景じゃない。
「素材」だ。

「…買う必要ないかもしれない」と僕のその呟きに、ひかりが顔を上げた。
僕はスケッチブックの新しいページを開くと、夢中で鉛筆を走らせた。
完璧なアクリルパネルの設計図を、僕はぐしゃぐしゃと黒く塗りつぶした。
そして、その隣に新しい絵を描き始める。
それは、ガラスの嵌っていない古い木製の「窓枠」を何枚も組み合わせた、歪で不格好な部屋の絵だった。

「廃棄される古い窓枠をもらってくるんだ。そして、そのガラスがあった場所に、僕たちが自分たちで和紙を貼る。和紙なら安い。そして、照明は買わない。部屋の内側からスマホのライトで照らしてもいい。和紙を通したスマホの光は、きっと月明かりみたいに柔らかい光になるはずだ」と僕は続けた。
「壁もベニヤ板でいい。美術室の隅に去年の文化祭の残骸がたくさんあった。あれを黒く塗りつぶして、僕たちがチョークで物語の物語の言葉を書き出すんだ。完璧な印刷じゃない。僕たちの手書きの言葉で」

僕のアイデアは、「ないもの」を嘆くのではなく、「あるもの」を拾い集め組み合わせる、ブリコラージュ(器用仕事)の発想だった。
それは、『リクのスケッチブック』でリクとヒカリがガラクタの谷でやろうとしていたことに似ていた。
物語と現実が不思議に符合していた。
僕の「目」が、完成された製品ではなく、打ち捨てられたガラクタの中に眠る素材としての可能性を見つけ出した瞬間だった。

ひかりは、僕が描いたその不格好で、しかし確かな熱を帯びた新しい設計図を食い入るように見つめていた。
やがて、彼女の顔にあの太陽の輝きが戻った。
「…すごい。すごいよ、神木君!」と彼女は立ち上がった。
「それなら、お金はほとんどかからない!よし、交渉だ!わたし、用務員さんと美術の先生のところに行ってくる!」

「待って、高槻さん!」と僕が、彼女が飛び出す直前、立ち上がり彼女を呼び止めた。
「ねえ、思ったんだけど、このアイデアだけど」
「展示に使う素材は、できる限り新しいものは買わない、ってどう」
「節約のために?」
「いや、節約だけじゃなくて。完成品を買うより、廃棄されるガラクタを活かす方が、僕たちの『たった一人の物語』のコンセプトに合ってると思わない?」
「コンセプト…うん、合ってる。すごく」
「陽の当たらないもの…、見過ごされてるもの…ガラクタで作る展示、これが僕たちの大前提にするのどう?」
「うん、うん。いいね!私たちの、オリジナルだもんね。わかった、この素敵な大前提、進めよう」

「ねえ、神木君。でも、本当に良かった。お金がなくて本当に良かった」
「どうして」
「だって、お金があったら、完璧なアクリルパネルを買ってしまっていたでしょう。完璧なものじゃ、『たった一人の物語』は作れないもん。『予算ゼロ』だったからこそ、私たちは本当のアイデアを見つけられたんだ」
「そうだね」

僕の胸は、ひかりのその太陽のような歓声に熱く満たされていた。
彼女は、僕のガラクタへの衝動が「本当のアイデア」であると、言ってくれた。
僕の内側から湧き出る内向きの熱は、今、彼女の外向きの光によって力強く承認されたのだ。
胸の内がほのかに温かくなるのを感じた。

「あ、待って!」と僕の声に、ひかりが振り返る。
「どうしたの」
「あの古い机も…」と僕は窓の外を指差した。
「あれももらえないかな。黒く塗ったら、アンティークの書見台みたいに見えないかな。デミアンを置くのにちょうどいい」
「…! 見える!」とひかりは最高潮の笑顔で僕を指差した。
「神木君、やっぱり最高の軍師だよ」

ひかりは今度こそ嵐のように部屋を飛び出していった。
彼女が開け放ったドアから、夕焼けの光が一瞬強く差し込み、次の瞬間、バタン、と閉まる音と共に、アトリエは再び静寂に包まれた。
その開いたドア枠が一瞬切り取った校庭の明るさ。
それとは対照的に、僕の目の前にあるスケッチブックのベニヤ板の絵は深く暗く黒いままだった。

一人残されたアトリエで、僕は自分のスケッチブックを見つめた。
そこには、僕の孤独な心象風景ではなく、二人で創り上げる現実の設計図が力強く描かれていた。
僕の胸は、これまでに感じたことのない熱い高揚感で満たされていた。
僕たちのガラクタの星空。
その本当の創造が今、始まったのだ。


それから僕たちは、柳先生から正式な「黙認」を取り付け、第二図書室の一番奥にある、普段は使われていない閲覧スペースを、僕たちのアトリエとして占拠した。
ひかりが驚異的な交渉術で用務員さんや美術の先生から譲り受けてきた「ガラクタ」たちが、次々と運び込まれる。
歪んだ木製の窓枠。
ペンキの剥げたベニヤ板。
黄ばんだ和紙。
用途不明の木材の切れ端。
それはまさに、僕が物語に描いた「ガラクタの谷」の光景だった。

ひかりは作業着代わりに着てきたパーカーの袖をまくると、慣れた手つきで木材のささくれを紙やすりで磨き始めた。
その姿は、僕が知っているクラスの中心で華やかに笑う高槻ひかりとは全く結びつかなかった。
「意外?」
僕の視線に気づいたのか、彼女は悪戯っぽく笑った。
「日曜大工が趣味のお父さんに小さい頃から色々仕込まれたんだよね。こういう地味な作業、結構好きなの」

彼女はただ明るく行動的なだけではない。
自らの「手」を動かし、何かを形にすることの喜びを知っている人間だった。
僕は、僕の持ち場である壁画用の巨大な黒いベニヤ板の前に立った。
チョークを手に取る。僕が描くべきは、あの『獣道の森』の絵。
僕たちの展示の世界観を決定づける、最も重要なパーツだ。

スケッチブックの上では何度も描いた絵。
だが、いざこの巨大な現実のキャンバスを前にすると、僕の指はぴたりと止まってしまった。
僕の頭の中に、Libのあの問いが渦巻いていた。
その光は、本当に外の世界のまだ見ぬ「たった一人」にまで届くのか?

この一枚の板は、僕の自己満足のスケッチブックではない。
文化祭当日、不特定多数の人間の目に晒される現実の壁だ。
僕が描くこの個人的で独りよがりな心象風景が、本当にまだ見ぬ「たった一人」の心に届くのだろうか。
もし誰にも届かなかったら?
もしただの気取った落書きだと嘲笑されたら?
その恐怖が、僕の腕を鉛のように重くしていた。

「…神木君」
僕が動けなくなっているのに気づいたのか、ひかりが声をかけた。
彼女は何も言わず、冷えたコーヒーの缶を僕の隣にそっと置いた。
そして、彼女は僕を責めるでもなく、励ますでもなく、また自分の作業へと戻っていく。
窓枠に一枚一枚丁寧に和紙を貼っていく、その真剣な横顔。
その姿が、僕に何かを語りかけているようだった。

しばらくして、ひかりがぽつりと言った。
「ねえ、神木君。わたしさ、神木君が最初にあの『デミアン』の貸出カードを見つけてくれた時、すごく嬉しかったんだ」
「…え」
「『たった一人でもいいんだ』って思えたから。多数決で負けて、わたしのやりたいことはやっぱり間違ってるのかなって、少しだけ自信なくしてたから」

彼女は手を止め、僕の目をまっすぐに見た。
「だからね、届くよ。絶対に。十年前のあの誰かさんみたいに、この学校のどこかで息を潜めている誰かが、きっと待ってる。神木君のその絵を見つけてくれるのを待ってる人が絶対にいる」
そして、彼女は最高の笑顔で言った。
「…わたしが、その最初のひとりだから、わかる」

彼女の言葉。
それは、Libの鋭い「問い」に対する、ひかり自身の温かい「答え」だった。
論理ではない。
データでもない。
ただ、揺るぎない確信。
その確信が、僕を縛っていた自意識の鎖を音を立てて断ち切った。

僕は息を深く吸い込んだ。
そして、黒く塗られた巨大なベニヤ板の上に、白いチョークで最初の一本線を力強く引き始めた。
かつてスケッチブックの隅で震えていた線ではない。
ひかりの信頼と、まだ見ぬ「たった一人」への祈りを乗せた、迷いのない一本の光の道筋。

和紙を貼るひかりの真剣な横顔。
壁画を描き始めた僕の集中した背中。
僕たちのガラクタのアトリエで、二人の「共犯者」が、それぞれの持ち場で一つの「星空」を作り始める。
静かで確かな創造の時間が動き出した。
そしてその熱が、僕を自室のデスクへと突き動かす。
暗闇の中でノートパソコンを開き、僕は真っ直ぐに物語の世界へと没入していった。
僕たちが拾い集めたガラクタが、いつか誰かの頭上で星空として輝くように。
その希望の道筋をリクとヒカリの足跡に重ね、僕は一文字ずつ、新しい物語を刻み始めた。

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