【小説】あの夏の光(20)『物語リクのスケッチブック「発明家の悲しみと映写機」』

小説

発明家の悲しみと映写機

二人が夜空に輝く「ガラクタの星空」を見つめながら、その圧倒的な美しさに言葉を失っていると、リクの頭の中にあの老人の言葉が蘇った。
――「面白い“足跡”が、見つかると、いいな」。
僕たちは星空を生み出した。
無数の物語を救い出し、空に還すことができた。
だが、老人の言った「足跡」とは、一体誰の何を指していたのだろうか。
この眩い星空の下で、リクはふと、説明のつかない「孤独」に胸を締め付けられた。

この孤独は、ガラクタの谷での作業の最中から、影のように二人に付きまとっていたものだった。
リクは、瓦礫の中から救い出したあの兄妹のペーパーナイフの物語を、通りかかった街の人に興奮して語りかけた。
「見てください、この光を! 会えなかった二人の絆が、今、空で星になったんです!」と。
しかし、男はリクの顔を怪訝そうに見つめた後、「星? 雲で何も見えんが……。兄妹の話なら、勝手にやってな」と、吐き捨てるように背を向けて立ち去った。
ヒカリの「耳」には、その時、男が残した「変な子たちだ」という冷ややかなささやきの残響が、はっきりと聞こえていた。

僕たちだけには見える。
僕たちだけには聞こえる。
二人が触れることで物語は完全な姿を取り戻すのに、それを他人に「伝える」術がない。
この星空は、僕たち二人だけの、あまりに孤独で、あまりに美しい「秘密」に過ぎないのだ。

その断絶が、リクの胸に鉛のようにのしかかり、星空の眩しささえも、まるで嘲笑のように感じ始めた、その瞬間だった。

ヒカリが抱きしめていた、しわくちゃの古い地図。
彼女はそれをそっと胸元に引き寄せ、目を閉じた。
リクには何も聞こえない。
ただ冷たい夜風が吹くだけだ。
しかし、ヒカリの澄んだ「耳」は、夜の沈黙の底から、風のざわめきとは違う、微かな「振動」を捉えていた。

「リクくん……」
ヒカリが囁いた声は、戸惑いと確信が半々に混ざっていた。
「今、地図から……音がする」

それは、酷く孤独で、寂しさに震えるような旋律だった。
ガラクタの谷で見つけたオルゴールの音に似ていたが、もっと奥深く、失われた記憶を求めて彷徨うような響きだ。
その音の道筋に導かれるように二人が辿り着いたのは、朽ちかけた煉瓦の壁に隠された鉄製の扉の先。扉を開けると、そこは古びた埃と古い機械油の匂いが満ちる、薄暗い空間だった。
まるで、誰かが長年、人目を避けて作業していた秘密の工房のようだ。

そして、その中央に置かれたものを見て、二人は息を飲んだ。
錆びて動かなくなった複雑な構造の映写機が、作業台の上にあったのだ。
この機械の周りだけは、谷のガラクタから生まれたものとは違う、純粋で強い光の微粒子が、揺らめくように薄く纏っていた。

「これだ……」
リクが震える声で言った。
「これほど精巧で、光と音を扱うことを目的とした機械を、残せるのは……やっぱり、あの導き手の『足跡』だ。ここは、発明家の実験室(アトリエ)なんだ。」

リクは確信とともに、どうにかして映写機を動かそうと試みたが、映写機は沈黙したままだ。
「私たちだけには、全部聞こえるし、全部見える… でも、それを『伝える』ことができない」
それは、あのガラクタの谷で眠っていた物語たちと、本質的には同じ「孤独」だった。

リクは、絶望的な無力感に襲われ、思わず映写機から手を離した。
ヒカリもまた、力なく頷き、煤けた金属の筐体から手を引く。
アトリエには重苦しい沈黙が満ちた。

「……やっぱり、無理なのかな」

リクが呟いたその瞬間、映写機の割れたレンズの縁から、まるで張り詰めた糸が解けるように、微かな光の粒子がにじみ出した。
リクの「目」にだけ見えるその光は、一点の閃光として爆ぜるのではなく、ゆっくりと、純粋な月の光のような銀色の輝きを帯びた一本の極細の「光の糸」となった。
その輝きは、かつて、リクのガラスの部屋の窓につけたヒカリの虹色のかけらから延びていた、あの細い光の道筋と同じだった。

リクは思わず声を上げた。
「ヒカリちゃん! 見て、光の糸だ!」
しかし、ヒカリはきょとんとした顔で首を傾げた。
「え? どこに? 何も見えないよ、リクくん」

リクには見えていた。
光の糸は、重力に逆らうようにふわりと舞い上がり、朽ちたアトリエの窓ガラスのわずかな隙間を縫って外へ。
それは、夜の帳が降りた街の通りを、誰も気づかない速さで進んでいく。

「待って、リクくん。見えないけど。張った糸を弾くような、バイオリンのような高い音が聞こえる。そこへ行こう。きっと、私たちを『案内』しているんだ」

光の糸が向かう先は、街の静かな一角の方に暗闇に延びている。
彼らは急いでアトリエを飛び出し、リクの「目」が捉える光の導きに従って夜の街を駆けた。
辿り着いたのは、街にう古くからある図書館だった。
その重い扉を押し開けると、冷たい空気が彼らを迎えた。
光の糸は、奥深く、人目のない科学史の棚へと続き、古びた革表紙の一冊の上で止まった。

『共鳴の文法(グラマー) ―― 忘れられた光と音の翻訳法』

二人の指が本の表紙に触れた瞬間、まばゆい閃光が走り、あの灰色のローブの老人の「意志の残響」が奔流となって流れ込んできた。
リクの「目」には、壁一面に数式を書き殴り、孤独に作業をする、あの老人の姿が見えた。
そして、リクとヒカリの頭の中に、老人の静かだが哀しみに震える「声」が響いた。

「…私は知っている。君たちのその力が、どれほど深く、その美しさと共に、孤独を抱えるかを。私も、君たちと同じ力を、かつて彼女と分かち合っていた」
「彼女は、君の『耳』と同じ、温かい音の力を持っていた。私たちは二人で、名もなき者の物語も、街の秘密も、いくつも見つけ出した…」
「だが、私たちが知る真実が深くなるほど、私たちは世界から遠ざかった。『誰も聞いてくれない音』と、『誰にも見えない光』の秘密に、彼女の心が耐えきれず、私の前から、音を置き去りにして消えてしまった。私は知ったのだ。『二人だけの真実』は、『三人目』がいなければ、ただの『秘密』に終わるということを。」
「だから私は、残された私の光と、彼女の音の記憶をすべて注ぎ込んで、この映写機を作った… これは、孤独なコンパスが指し示す光と、温かい地図が奏でる音を、誰もが理解できる物語の『言葉』に翻訳するための装置だ。未来の共鳴者たちよ… 君たちの力は、誰にも届かなかった、私と彼女の『第三の道』なのだ…」

老人の声が消えた後、本棚の前には静寂が戻った。
リクの「目」には、本に残された老人の筆跡が、インクの滲みと共に途中でぷつりと途絶えているのが見えた。
それは、伝えられなかった言葉の墓標のようだった。
ヒカリは静かにそのページを見つめていたが、やがてポケットから、あの兄妹の青銅色のペーパーナイフを取り出した。
ガラクタの谷で、会えなかった兄と妹の物語を繋ぎ、再会の星を夜空に打ち上げた、奇跡のナイフだ。

「おじいさんの物語は、ここで途切れている。……孤独のまま、終わってしまっている」
ヒカリは寂しげにそう呟くと、そのペーパーナイフを、老人の手記が途絶えた最後のページに、そっと挟み込んだ。
「……ヒカリちゃん?」
「これを、私たちの『栞』にしよう」
彼女は祈るように本を閉じた。 本の間から覗く青銅色の柄が、古い革表紙に微かな光を灯している。 「私たちがこの続きを描くの。これは、私たちが『孤独』を『共鳴』に変えた、最初の証拠だから」
彼女はまっすぐにリクを見た。
「もし、これから先、私たちが道に迷って、お互いの声が届かなくなるようなことがあっても……この栞が挟んであるページを開けば、きっとまた、この『真実の場所』に戻って来られる気がする」

その言葉は、リクの胸に深く刻まれた。
想いを形にしたものを、この本に挟むこと。
それが、時を超えて誰かに届く「約束」になるのだと、ヒカリが教えてくれた気がした。

リクは自身のスケッチブックを取り出し、ヒカリが栞を挟んだそのページに記された映写機の設計図を、一線一線、祈りを込めるように書き写し始めた。


アトリエに戻った二人は、埃っぽい作業台の上に設計図を広げた。 だが、書き写したばかりのその図面を前にして、リクは絶望に近い溜息を吐いた。 「……部品が、足りなすぎる。肝心な回路の歯車も、光を集めるレンズの核も……何一つ、ここにはない」 目の前にある映写機は、あまりに無惨な鉄の塊だった。錆びついた筐体は沈黙し、心臓部にあたるべき場所には、ぽっかりと不気味な穴が開いている。

リクが力なく図面に指を触れた、その時だった。 隣で同じように図面をなぞっていたヒカリの手と、指先が重なった。 途端、二人の視界が「共鳴」によって一変する。

リクの「目」には、図面の線から溢れ出した銀色の光の糸が、まるで血管のように壁を這い、床を走り、アトリエの深淵へと伸びていくのが見えた。 「リクくん、聞こえる……! 床の向こう、ガラクタに埋もれた場所から、微かにバイオリンの弦を弾くような音が……」 ヒカリの声に導かれ、リクは光の糸が消え入るアトリエの隅、高く積み上げられた古い木箱の山へと駆け寄った。

崩れそうな箱を一つずつ、無我夢中でどかしていく。指先が棘で傷つき、埃で喉が焼けるような作業の果てに、リクは山の一番下から、重厚な鉄の鍵がかかった黒い木箱を引き出した。 「これだ……」 リクが鍵を壊し、蓋を開ける。中には、用途不明の金属片や、割れたプリズム、脂の切れた歯車が、死んだ化石のように詰まっていた。

リクが震える手で、最も形の近い錆びついた金属の輪を取り上げ、映写機に嵌めようとした。 「待って」 ヒカリがその手を、静かに、しかし強く止める。 「その音じゃない。それは、悲鳴を上げているわ。……もっと、優しくて、低い音のものを」 彼女は目を閉じ、木箱の底から響くかすかな「振動」に全神経を集中させた。 「これよ。この子が、呼ばれてる」 彼女が指差したのは、リクが一度は「ただの欠片」だと見捨てた、小さな歪な歯車だった。 リクがその歯車を手に取り、映写機の空洞にかざす。すると、リクの「目」が捉える光の糸が、その歯車を介して複雑な回路へと繋がり、銀色の血流が巡り始めた。

設計図という理論を、ヒカリの「音」が補完し、リクの「光」が現実の形へと繋いでいく。 それは、かつての発明家さえ辿り着けなかった、二人だけの「共鳴の文法」だった。

だが、最後に最大の壁が立ちはだかった。 「レンズの核……光を一点に束ねる、魂の部分がない」 どれだけ箱を漁っても、そこにあるのは濁ったガラスの破片ばかりだ。 リクの視界から、導きの光の糸が消えかかろうとしていた。その絶望的な静寂の中、ヒカリが木箱の底、古いフェルトの切れ端に包まれた「何か」を見つけ出した。

それは、ビー玉ほどの大きさの、何の変哲もない曇ったガラス玉だった。 「音が……すべての音が、この玉に吸い込まれていく……!」 ヒカリがそれをレンズの割れた中心部へ押し込むと、カチリ、と世界が噛み合うような小さな音が響いた。

発明家が遺した設計図に、リクとヒカリの共鳴が宿り、映写機はついに産声のような駆動音を上げた。

リクは、自身のスケッチブックに描いたオルゴールの物語のページを破り、映写機のフィルム装填口に差し込んだ。
その光のイメージを、彼は一晩かけて「光の線」で必死に書き写していた。
それが、二人だけの「フィルム」だった。

ヒカリが、震える指で、機械のゼンマイを巻いた。
レンズの核にはめ込まれたガラス玉が、強い光を放ち、リクのスケッチブックのページを貫いた。

アトリエの白い壁に、淡く、しかし鮮明に、雪の日の少女の物語が映像として映し出された。
それと同時に、アトリエ全体が、あの優しくも哀しいメロディーに包まれた。

それは、リクの「光の言語」とヒカリの「音の感受性」が、機械という「共鳴の装置」を通して、初めて外の世界に翻訳された瞬間だった。

それはもう、二人だけの秘密ではなかった。
二人は、涙が溢れそうになるのをこらえながら、強く、強く、お互いの手を握りしめた。

次話(第21話 絶対零度の告白)にリンク
<柳先生と蒼太の対話、先生は蒼太に覚悟の有無を突きつける>

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