80年代のおわり、純也と優一は北陸の高校2年生。 美術部の優一は、偶然、校長室で見た女性像絵画に心奪われてしまう。 純也と共謀して、その絵を盗み出す事に。 そして、早朝の学校に忍び込み、盗み出すことができたが、重大なミスを犯してしまう…
純也の決心
優一からの電話に、純也はまだ眠気の残る声で応じた。
マキさんが帰ってきていて、由香子も一緒に美術館に行かないかという急な誘いがあったこと、まだ時間に余裕があるから一度家に行ってもいいかと優一が伝えると、純也は快諾した。
「イディアの絵を見ても、もう心が動かないなんて、あいつになんて言えばいいんだ…」
あれだけ自分のために計画し実行しリスクまで負ってくれた純也に、今さらそんなことはとても言えない。
優一は、言い出せない重みを胸に抱えたまま、純也の家へと向かった。
約束の時間通りに純也の家に着くと番犬のケンが吠え、それに気づいた純也は玄関扉をすぐに開けた。
シャワーを浴びた後なのだろうか、純也はサッパリとした表情で、身支度も完璧に整っている。
その姿は、ついさっきまで眠そうに電話に出ていたとは思えなかった。
「よぉ、優一。まぁ、上がれよ」
普段と変わらない口調で招き入れられた部屋は、しかし、いつもとどこか空気が違っていた。
やけにきちんと片付いている。
それに、純也自身もどこか落ち着きがなく、そわそわと落ち着かない様子だ。何か妙だ。
優一が訝しんでいると、純也は不意に真剣な面持ちで向き直った。
「優一、ちょっと話があるんだ」
その真剣な眼差しに、優一の心臓がどきりと跳ねた。
優一はイディアのことを聞かれるんじゃないかと、身構えた。
純也は一度、深呼吸をして、そして堂々と宣言した。
「俺、決めたんだ。今日、川本さんに告白しようと思う」
「え…?」 予想もしなかった言葉に、優一は一瞬思考が止まった。
純也はそんな優一の反応を楽しむかのように、にやりと笑う。
「なんだって思うよな、実は前から川本さんのことが好きだったんだ。正直、ずっと迷ってたんだ。でも今は迷わない。お前の気持ちがどこにあるか、はっきり分かったからな。お前が好きなのは、川本さんじゃない。…あの”イディア”だろ?」
「今朝、美術館に行こうと言われた時、これがチャンスだと思ったんだよ」
純也は、少し視線を落として、言葉を続けた。
「川本さん、お前と一緒にいる時、すごく楽しそうだから…。もしかしたら、お前のことが好きなのかなって。それに、肝心のお前自身がどう思ってるのかも、俺には分からなかったから。だから、なかなか踏み出せなかったんだよ」
「お前にはイディアがいる。だから、遠慮はいらないってことさ。で、さ…協力してほしい。美術館で、少しの間でいい。川本さんと二人きりになる時間を作ってほしいんだよ」
そして、純也は悪戯っぽく片方の口角を上げた。
「頼むよ。俺もお前のために、イディアとの仲を取り持っただろ? その借りを返してもらうってことでどうだ? ちょうどいいだろ?」
純也は、覚悟を決めた瞳で、真っ直ぐに優一を見つめていた。
純也が由香子のことをそんな風に思っていたとは全く気づいてなかったから驚いた。当然、純也の恋を応援したい。その気持ちに嘘はない。
しかし、胸の奥で、名前のつけられない感情がざわめき始めていた。
それは戸惑いなのか。
それとも、純也に対する嫉妬なのか。
優一には、自分でもその正体が何なのか分からなかった。
「わかった」
優一はできるだけ、自然に聞こえるように答えた。
「協力する」
自分の胸のつかえを意識の底に押し込めて、力強く頷く。
イディアへの想いの喪失という秘密に加えて、もう一つ、正体不明の複雑な感情まで抱え込んでしまった。
「ありがとう、優一!」
純也は心の底から安堵したように顔をほころばせた。
その純粋な笑顔が、今の優一には少しだけ眩しく、そしてチクリと痛かった。
「よし、行こうぜ!」
勢いよく立ち上がった純也の背中を見送りながら、優一は二重の重荷を抱え、静かに部屋のドアを閉めた。
今日の空は北陸の空にはめずらしく、どこまでも青く澄み渡っている。
だけれど、優一の心はすっきりしない。
曇った空のようだった。
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