1980年代のおわり、北陸の夜明け。画一化された価値観と閉塞感が漂う中、揺れ動き、彷徨う自我を抱えた二人の高校生男子は、早朝の校舎に侵入する。目的は絵の中の女性だった。
マキさんへの手紙
額の中の絵を前にして、優一の呼吸が止まった。このひと月あまり、心をすべて奪われた女性が、静かにこちらを見つめている。揺らぎ続けた想いは今、確かな熱となって全身を駆け巡った。
この計画を実行する前日の昨夜、優一は急に自分の気持ちが疑わしくなっていた。学校に忍びこむというリスクを冒してまで、本当に成し遂げたいことなのか。このひと月以上、焦がれるように抱き続けてきた想いは、本物なのだろうか。
この計画を立ててから何度も自問自答を繰り返してきたはずなのに、実行を明日に控えたこの期に及んで、またわからなくなってしまう。自分の気持ちを見失いそうになるたび、優一は決まって日記を開いた。卒業して東京の美大へ進学した先輩、マキさんに送った手紙の下書き。そこに記した言葉を読み返すことでしか、自分を支えられなかった。
マキさん
先日はお電話ありがとうございました。東京での生活、とても楽しそうで、僕も早くここから出たいなと思いました。電話ではうまく話せませんでしたが、手紙なら素直に書ける気がするので、少しだけ綴ってみます。
僕があの絵を初めて見たのは、NHKの特集番組でした。画家のリドリー・ライトは去年亡くなった時に大きく報じられていましたし、現代作家としての知名度もあったので名前だけは知っていました。エイズで亡くなったことや、同性愛を公言していたこともスキャンダラスに語られていて、そうした情報が先行していたせいで、僕はかえって興味を失っていました。自分から彼の絵を観たいと思ったことはなかったんです。
マキさんならご存じかもしれませんが、ニューヨークに、ロック好きなら誰もが知る有名なクラブがありますよね。リドリーはそのクラブの内装を手がけていたそうです。耽美的な装飾や、SM趣味を窺わせる写真や絵画が飾られ、パンクやニューウェーブのアーティストが数多く出演したそのクラブは、70年代半ばから、アートと音楽の最前線を走る人々の聖地となっていたと聞きます。
リドリーには『NY.UG.LIFE(ニューヨーク・アンダーグラウンド・ライフ)』という伝説的な作品があります(ご存じですか?)。僕は写真でそれを見たのですが、しばらくこみ上げてくる吐き気がおさまりませんでした。クラブ正面の灰色の壁に、ドス黒い血のような赤色で自由の女神の頭部が描かれている。その赤は、本物の血でした。ニューヨークの下水道で捕獲したドブネズミを壁に叩きつけて殺し、その血で描いたというのです。あるインタビューでその伝説は本当かと問われたリドリーは、逆にこう聞き返したそうです。「何匹、壁に叩き付けたと思う? 描くよりそっちの方が大変だったよ」と。その逸話は強烈で、何かと思い出してはいたものの、あの絵のことはNHKの特集を観るまで知りませんでした。
不思議なことに、僕があの絵と出会ったのは、その特集を観た翌日のことでした。場所は、なんと校長室です。
僕が校長室に呼ばれたのは、数学でひどい点を取ったからでした。文系の僕も、センター試験では数学が必須です。そして、よりによって担任が校長だったのです(あの人、数学も教えるんですね)。もともと数学は苦手で、親に家庭教師までつけてもらい、いやいやながら勉強していました。それでも、結果は散々でした。あまりの点数の低さに、僕は個人的に校長室へ呼び出されたのです。
「あんな点数で、一体どういうつもりなんだ、君は」 ドアをノックするときの、あの憂鬱な気分は忘れられません。点数を取れない自分を責める気持ちと、こんなことでこの先の受験や、大げさに言えば自分の将来を切り拓いていけるのだろうかという絶望的な気持ちで、今すぐここから消えてなくなりたいとさえ思っていました。
校長は風邪なのか、終始鼻声で説教を続けました。校長室の奥にある応接セットは、小さな窓がひとつあるだけで、こんな状況でなくとも息が詰まりそうな場所です。校長の話は至極まっとうで、「今すぐ立て直さなければ、現役合格は不可能だ」「いや、私の長い経験上、君はもう無理だね」と、何度も繰り返されました。僕は「はい、その通りです」と答えながら、ただうつむいていました。
そのとき、電話のベルが鳴り、「ちょっと待っててくれ」と校長は隣の執務室へ向かうため席を立ちました。取り残された僕の目に、校長が座っていたソファの真後ろの壁に掛かる、白い木枠の額が留まりました。そして、僕は息をのみました。前日にNHKの特集で見た、あの絵が飾られていたからです。
正確には、テレビで紹介されていたのは着色された完成作でしたが、そこにあるのは色が塗られていない、おそらく習作のデッサンでした。しかし、モチーフも構図もまったく同じ。隣室からは相変わらず校長の鼻声が聞こえ、不快な空気が漂っていましたが、その絵を見つめていると、そんな気分は霧が晴れるように消えていきました。心が軽やかになり、胸が内側から膨らんで、何もかもが些細なことに思えてくる。不思議な感覚でした。
絵には一人の女性が描かれていました。まだ少女の面影を残しながらも、射るように強い瞳でまっすぐに前を見据えている。その眼差しに、僕の心は一瞬で奪われたのです。額にタイトルはありませんでしたが、昨日テレビで見たばかりなので、題名は知っていました。『チェルシー・ホテルのイディア』。
それは、リドリーの元恋人イディアの肖像画でした。二人がニューヨークのチェルシー・ホテルで一時期暮らしていた頃の作品です。特集番組では、二人のエピソードも語られていました。ニューヨークで出会い、愛し合った二人。しかし、リドリーは自身の本当のセクシャリティ、つまり同性愛に目覚め、イディアと別れることになります。この肖像画は、その別れの数週間前に、今までの想いのすべてをぶつけるように描かれたものだといいます。
二人は恋人であると同時に、舞台女優を目指すイディアと画家リドリーは、同じ表現者としてライバルでもありました。イディアが大役に抜擢されると、リドリーは自分のことのように喜びながらも、狂おしいほどの嫉妬に苛まれ、同棲していた部屋に帰らず、同性愛者のパトロンの家に入り浸ったそうです。同志であり、ライバルであり、愛する女性であり、そして自分の分身でもあった……。
校長室で、ひとりその習作を見つめていると、大げさではなく、画家の魂そのものが伝わってくるようでした。陳腐な言葉になってしまいますが、イディアへの愛と呼ぶほかないエネルギーが、握り拳で殴られたような衝撃で、目に飛び込んできたのです。
隣の部屋からは校長の鼻声が聞こえていましたが、もはや不快ではありません。ただの音として耳を通り過ぎていくだけです。胸がじんと熱くなり、手のひらがむず痒く、鼻の奥がツーンと切なくなる。そして、自分でも本当に驚いたのですが、目から涙が自然とあふれ出しました。
いつ校長が戻ってくるかわからない状況で、涙を止めようと焦れば焦るほど、それは止まる気配を見せません。意思とは裏腹に胸の熱は高まり、高ぶった感情は出口を求めて、嗚咽となって漏れそうになる。まったくコントロールが効かなくなった僕は、応接机に突っ伏し、声を殺して泣き続けました。
どれくらいの時間が経ったのか。少し落ち着いて顔を上げると、応接室の入口に、何か恐ろしいものでも見たかのような顔をした校長が立っていました。
「き、君、大丈夫か……」 校長はあきらかにうろたえています。 「待たせてすまなかった。今日はもういいから、帰りなさい。……少し言い過ぎたな。君には頑張ってほしいんだよ。今からでも十分間に合うから。わからないことがあったら、いつでも聞きに来なさい。いいね」
急に猫なで声になり、無理に微笑みながらそう言いました。 期せずして校長室から解放されたとき、入る前の憂鬱は跡形もなく消え去っていました。代わりに胸に迫っていたのは、まったく別の感情でした。
“イディアにもう一度会いたい” “イディアのそばにいたい”
そんな狂おしいほどの切ない気持ちでした。僕は、絵の中のイディアを好きになってしまった。……いや、恋をしてしまったのかもしれません。
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