【小説】アウトサイド オブ ソサイティ(7)失敗と後悔

80年代のおわり、純也と優一は北陸の高校2年生。 美術部の優一は、偶然、校長室で見た女性像絵画に心奪われてしまう。 純也と共謀して、その絵を盗み出す事に。 そして、早朝の学校に忍び込み、計画は成功するかに見えたが…

失敗と後悔

公園の中央には、古びたポールの上に丸い時計がひとつ設置されている。
純也はその文字盤を、まるで何かの答えを探すかのようにじっと見上げた。
白い針が指し示していたのは、午前6時20分。
校長室に侵入してからまだ20分しか経っていなかったが、一連の計画遂行が、ずっと前の出来事のように感じる。
そして、始業のチャイムが鳴るまで、まだ当分の時間がある。

「窓は、やっぱりまずいよな。完全に俺たちのミスだ。あせってたから……」
さっきまでの強気はどこへやら、純也の声は明らかに弱っていた。
彼は地面のアスファルトを見つめ、苦々しく唇を噛んだ。
その深刻な表情は、隣に立つ優一の心をさらに暗くさせた。優一の顔からは血の気が完全に失せ、まるで病人のように青白く見えた。

「だ、大丈夫だって!」
純也は、そんな優一の様子を見て、無理やり声を張り上げた。
それは優一にではなく、自分自身に言い聞かせているのが痛いほどわかる、そんな空元気だった。
「校長室に誰かが入ったことがバレても、俺たちがやったっていう証拠はない。それに、盗まれたり、なくなったりしたものもないんだから、きっと大した騒ぎにはならない」
「いや、そんなことないよ!」
優一が、かすれた声で純也の言葉を遮った。
「普通、誰かが入ったら、まず部屋の中を詳しく調べるに決まってる。そしたら、あの絵がすり替えられてることに気づくよ。あのヘタクソな偽物なんて、絶対に、絶対にバレる……!」
彼の声はどんどん小さく、弱々しくなっていく。
「でもさ、こんなところで、あーだこーだ言ってても何も始まらないだろ」
純也は少しイライラした口調で言った。
どうしようもない不安が、苛立ちに変わっていた。
「それに、物事に絶対はないんだ。とにかく、今はどうしようもない。今日の夜、俺の家に来い。そこでちゃんと話そう」
純一は優一の肩をぐっと掴んだ。その手には、自分でも気づかないうちに力が入っていた。
「いいか、優一。今日は予定どおり、いつも通りに学校へ行くんだ。そして、いつも通りに過ごす。あくまでも自然にだ。無理かもしれないけど、やるしかない」
純也は必死に言い聞かせた。
「なあ、とりあえず笑えよ。死人みたいな顔だぞ」
そう言っている純也自身の顔が、全く笑えていなかった。


いつもと同じ教室の喧騒。
いつもと同じ先生の声。優一は自分の席で、背筋を伸ばして座っていたが、授業の内容はまったく頭に入ってこなかった。
心臓がずっと早鐘を打っていて、いつ担任が厳しい顔で「校長室に泥棒が入った」と切り出すか、そのことばかりに怯えていた。
休み時間に、廊下で別のクラスの純也とすれ違った。
一瞬、目が合ったが、二人とも気まずく視線をそらし、足早に通り過ぎてしまう。
そのぎこちない振る舞いが、かえって自分たちの罪を周りに宣伝しているようで、また新たな恐怖が湧き上がった。
だが、結局その日は、何事も起こらなかった。
侵入事件の話は誰の口からも出ず、学校はいつも通りの平穏な一日のまま、放課後を告げるチャイムが鳴った。
優一は、心身ともにぐったりと疲れ果てていた。
授業中も、休み時間も、頭の中では「どうしてあんなことをしてしまったんだろう」という後悔の言葉が、壊れたレコードのように繰り返されるだけだった。
本当は、今すぐにでも家に帰って、ベッドに倒れ込みたかった。
しかし、「いつも通り」を演じきるため、彼は重い足取りで美術室へ向かった。
優一が朝からずっと緊張していたのは、窓を閉め忘れた失態のせいだけではなかった。
彼のナップサックの中には、校長室から盗み出した本物の絵を入れた筒が、刺されていたからだ。
一日中、誰かに「その中身を見せて」と言われたらどうしようかと、気が気ではなかった。
そんな可能性はほとんどゼロに近いと、心配性の彼でも理性では分かっている。
それでも、盗んだ「証拠」を肌身離さず持っているという事実が、彼の心を激しく締め付けていたのだ。
今日は一刻も早く、この筒を手放したかった。
所持していたら犯行を疑われるもの、彼が描いた模造作品を紙筒にいれて美術準備室に置いておいたのも同じ理由だった。
いつもなら放課後は教室に残り、クラスメートとくだらない話をして時間を潰すのだが、今日ばかりは終業のベルが鳴ると同時に、すばやく教室を出て美術室へ向かったのだった。

美術室の引き戸をそっと開ける。
オレンジ色の光が満ちる部屋には、案の定誰もいなかった。散らかっていた絵の具のチューブは片付けられていて、制作机の上にあったあの絵も見当たらない。
優一はまっすぐ美術準備室に入ると、朝に紙筒を抜き取ったのと同じ棚の隙間に、盗んだ絵の入った筒をそっと戻した。
カタン、と小さな音がして、筒が元の場所に収まる。
その瞬間、一日中張り詰めていた緊張の糸が、ユルユルとほどけていくのを感じた。
体中の力が抜け、やっとホッとした気持ちになれた。
その時だった。
静まり返った準備室の奥から、不意に声がした。
「おや、優一じゃないか。今日は早いんだな」
「ワァッ!」
優一は、心臓が飛び出るかと思うほどの衝撃で、我を忘れて大きな声をあげてしまった。
「おいおい、そんなに驚くことないだろう。オバケじゃないんだぞ」
声の主は、美術部顧問の安岡先生だった。
準備室の奥で、物置と化している作業机の周りに何段にも積み重ねられた段ボール箱の陰から、ひょっこりと顔を出したのだった。

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