【小説】アウトサイド オブ ソサイティ(22)絵画バー「マーキームーン」

80年代のおわり、純也と優一は北陸の高校2年生。 美術部の優一は、偶然、校長室で見た女性像絵画に心奪われてしまう。 純也と共謀して、その絵を盗み出す事に。 そして、早朝の学校に忍び込み、盗み出すことができたが、重大なミスを犯してしまう…

絵画バー「マーキームーン」

秋めいてはいるが、陽射しがアスファルトにぎらつく午後、マキに腕を引かれるようにして、優一は「浅野画廊」の前に立っていた。
蔦の絡まるレンガ造りの建物。モダンなガラスのサンジェードの向こうには、静謐な空間が広がっている。
「ここだよ、優一くん。わたし、昨日も来たんだけど、やっぱり、いい絵が多いんだよ」
「画廊なんて、初めて入るよ…」
カラン、とドアベルが鳴るが、中に客の姿はない。
別世界のような静寂が、壁に掛けられた絵画の存在感を一層際立たせていた。
少し気圧されながら中に入ると、ひんやりとした空気が肌に心地よかった。
白い壁に掛けられた絵画は、どれも個性的で力強い。
地元の作家の作品が中心だとマキは言っていたが、そのレベルの高さに優一は息を呑んだ。

「こんにちは、リョウジさん」
マキが慣れた様子で声をかけると、カウンターの奥から店主の浅野良二が顔を出した。
「やあ、マキちゃん。待ってたよ。…そして、君が優一くんだね。話は聞いているよ」
柔和な声。
無精髭を生やし、洗いざらしのシャツを着た男性が穏やかに微笑んでいる。
初対面のはずの浅野の言葉に、優一は少し戸惑った。

マキは子供の頃から父親に連れられてこの画廊に来ており、浅野とは顔見知りだ。
浅野は優一の緊張をほぐすように、優しい目でマキに語りかけた。
「昨日も言ったけど、それにしてもマキちゃん、すっかり綺麗になったなあ。小さい頃はよくお父さんと一緒に来て、このカウンターの下に隠れて遊んでたのにな」
「もう、やめてくださいよ、リョウジさん」

マキが照れくさそうに笑う。
その和やかな雰囲気の中、優一はカウンターの横のソファに座る見慣れた人影に気づき、目を丸くした。
「え…安岡先生?」
よれたジャケット姿の美術部顧問、安岡誠が、読んでいた本から顔を上げた。
「おお、来たか。待ってたぞ」
「え、なんで先生がここに…。偶然ですか?」
「偶然? まあ、そんなところだ。散歩してたら、ふと旧友の顔が見たくなってな」
安岡はわざとらしくそう言って、浅野と目配せする。
マキは楽しそうに、その小さな企みを見守っていた。
昨日、マキが画廊を訪れた際に、浅野と三人で示し合わせていたのだ。
優一をここに連れてくることを。
そのことを、優一だけが知らない

「それにしても誠、お前がそこまで言うなんて珍しいじゃないか」
浅野が優一に向き直る。
「この先生がな、君の絵をべた褒めするんだよ」
その言葉は、優一を緊張させた。
「先生とリョウジさんは、美大の同窓生なんですよね?」
「ああ。まあ、こいつとは美大の同期でね。まあ、二人して、いや三人か、大学をドロップアウトして、ニューヨークの片隅で一緒に絵の具とパンを分け合った仲だよ」
安岡が懐かしむように遠くを見る。
「それにしても最近、景気がいいみたいじゃないか」
安岡が画廊を見渡しながら言うと、浅野は少し複雑な表情を浮かべた。
「まあな。ありがたいことに、投機目的で買っていかれる方も増えてね。ただ、その絵にどんな想いが込められているか、少しは考えてくれると嬉しいんだがな。親父の頃からのお客さんの、マキちゃんのお父さんのような人がいるとホッとするよ」
「お父さん?」とマキが尋ねると、浅野は頷いた。
「ああ。先代の頃からずっと、ただ純粋に絵を愛してくださる、うちにとって大事なの客さんさ」
ひとしきりとりとめのない話が続いた後、浅野がふっと立ち上がった。
「さてと…じゃあ、そろそろ本題に入ろうか」
彼の声のトーンが、わずかに変わる。
「優一くんに見せたいものがあるんだ」
「僕に…ですか?」 優一が驚いて尋ねると、浅野は意味ありげに頷くだけだった。
浅野はカウンターの奥にある、壁と一体化したような扉に手をかけた。
「この下に、絵画バーがあるんだ、画廊のお客さんの、会員制のね」
「行こう。バーの名前は『マーキームーン』。今日は、君のためだけの画廊だ」
マキがそっと優一の背中を押す。
「ちょっとびっくりするかも」と囁く声が、期待と秘密の色を帯びていた。
重厚な扉が開くと、ひんやりとした空気と共に、地下へと続く螺旋階段が現れる。
浅野に導かれるまま、彼はその暗がりへと一歩を踏み出した。

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