【小説】アウトサイド オブ ソサイティ(最終回)誠実であること

80年代のおわり、純也と優一は北陸の高校2年生。 美術部の優一は、偶然、校長室で見た女性像絵画に心奪われてしまう。 純也と共謀して、その絵を盗み出す事に。 そして、早朝の学校に忍び込み、盗み出すことができたが、重大なミスを犯してしまう…

誠実であること

由香子の誠実さ。
浅野が語った真心。
そして、自分の真心に賭けようとする安岡の決意。
これまでの出来事が、優一の中で一つの道を示していた。
僕は、自分に誠実だっただろうか。
違う。
ずっと逃げていた。
自信のなさから、安定した未来という名の逃げ道へ駆け込もうとしていた自分に、気づいてしまった。

もう、自分に嘘はつけない。
優一は、こくりと唾を飲み込み、校長室の扉を三度、ノックした。
「どうぞ」

中に響いたのは、聞き慣れた穏やかな声だった。 

失礼します、と呟いて扉を開けると、部屋の主である校長がデスクの向こうで優一を認め、柔和な笑みを浮かべた。 

「おお、君か。どうしたんだい」 

「先生、今、お時間よろしいでしょうか」 

校長は椅子から立ち上がると、どうぞ、とソファを勧めてくれた。 

革張りのソファに深く腰を下ろすと、対面に座った校長の優しい眼差しが、かえって優一の心を締め付けた。 

この人は、僕の「逃げ」にも真摯に向き合ってくれていた。 

「先生、急な話で本当に申し訳ないのですが…進路を変更しようと思います」
テーブルの上で固く握りしめた拳に力を込める。
これは、ただの心変わりじゃない。
自分に誠実であるための、最初の行動なのだ。
「美大を…受けようと思うんです」

校長の目が、わずかに見開かれた。
彼が親身になって指導してくれた数学は、優一が目指す大学には必要ない。
「先生には、本当に感謝しかありません。本当に、すみません」
深々と頭を下げる優一に、校長は穏やかに言った。
「顔を上げなさい。君が謝ることじゃない。…実は、ちょっと心配していたんだ。自習室に来なくなっていたから」
「君が自分で見つけた道なんだろう。それなら、私は応援するだけだ」
「もう親御さんには話はしているのかい」
「まず、先生にお話してから、できれば今日、しっかり両親と話し合いたいと思っています」
「そうか、自分でしっかり考えているなら、私は何も言うことはない、よく決心したね」
その言葉に、優一の目頭が熱くなるのを感じた。

「そうか、美大を受けるのか…」
「そうだ。君にあげたいものがあるんだ」
校長はそう言って立ち上がると、隣の応接室へと優一を招き入れた。
優一と純也がイディアの絵を盗むために忍び込んだ、あの部屋だ。
校長はサイドボードの引き出しから、丁寧に布で包まれた何かを取り出した。
「これを」
差し出された布を開くと、中には真新しいセーブルの絵筆が数本、静かに横たわっていた。
「私の息子が、使わなかったものだ」
校長は、少し遠くを見るような目になった。
「あいつは、画家でね。ニューヨークで絵の修行をしていたんだが…。新品のまま、たくさん残っていてね。私が持っていても仕方がない。君が使ってくれたまえ」

その口調は不思議なほどに明るく、かえってその横顔は痛々しいほどに切なかった。
まるで、今もニューヨークで活躍している息子の自慢話をするように。
「向こうでは、ちょっとした賞も取ったんだ。私は絵に詳しくないけど、あいつの描く光の表現は、なかなかのものだと言われていたらしい。いつか、世界を驚かせる画家になるとか…」

その横顔は誇らしげで、けれど、どこか痛々しいほどに切なかった。
優一に、校長の息子の死、その喪失の深さが、今、ひしひしと伝わってきた。
「…はい。ありがとうございます。大切にします」
深く、深く頭を下げた。
そして、頭をあげて、校長をまっすぐ見ると、校長の瞳に自分の影が映っていた。
受け取った絵筆が、ずしりと重い。
それはただの道具ではなく、一人の人間の夢と、父親の祈りが込められたもののように感じられた。

お礼を言って応接室を出ようとした、その時だった。
ふと、壁にかけられた絵が目に入った。
この間までイディアが飾られていた場所。
しかし、今かかっているのは、全く趣の異なる、強烈な色彩が渦を巻く、場違いな抽象画だった。

(…あれは)
見覚えがあった。
あの朝、美術室の制作机に置かれていた、安岡先生が描いていた、あの絵だ。
校長室の応接室には、場違いにも程がある狂ったような色彩。
安岡先生のとぼけた顔を思い出し、優一は、こみ上げてくる笑いを必死にこらえた。
今、こんな雰囲気で吹き出せば、全てが台無しになる。

「先生、本当に、ありがとうございました」
なんとか真顔を取り繕い、もう一度深く頭を下げて、優一は応接室を後にした。
扉が閉まる直前、絵の下にあるプレートがちらりと見えた。
そこにあった文字が、優一の目に焼き付いた。
『Outside of socitey』

おわり

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