【小説】あの夏の光(11)反乱軍の設計図

小説

「ゲリラ展示」を進めるふたり、柳先生の助言で「足跡探し」を開始。 言葉ではなく本を介した交流で、蒼太は過去の傷を明かし、ひかりはそれを受け止める。 ふたりが愛する物語をきっかけに、ひかりは「本そのもの」から「本を読んだ人」へと視点を転換。 そして、真のテーマを発見し、「たった一人のための物語」展として、ふたりの視点のズレはひとつになる


反乱軍の設計図

あの埃っぽい書庫の中で、「たった一人のための物語展」という僕たちの進むべき道を見つけてから、僕とひかりの間の空気は完全に変わっていた。
ぎこちない沈黙は、熱を帯びた創造の共犯者としての心地よい静寂へと変わった。

窓の外では、赤紫色の夕暮れが、人気のないグラウンドに長い影を落としている。
期末テストまであと三日。
部活動も完全な停止期間に入った校舎は、嘘のように静まり返っていた。
いつもなら響いている吹奏楽部の音合わせも、野球部の掛け声もない。
廊下の隅々にまで充満しているのは、直前の詰め込みに追われる生徒たちの切迫した沈黙だけだ。
僕たちはすぐさま、その静寂を味方につけるように、第二図書室の大きなテーブルへと場所を移し、僕たちのささやかな反乱の具体的な設計図を描き始めた。

「よし!」

ひかりは新しいスケッチブックのページを開き、力強い文字でリストを書き始めた。
「まずはやることリスト!一つ、展示のコンセプトを具体的に固める。二つ、展示する本を正式に選定する。三つ、展示空間のデザイン。四つ、柳先生に許可を取る!五つ…」
「……あ、その前に。計画に熱中しすぎて赤点取らないこと!これ、一番大事なルールね。夏休みに補習なんて食らったら、後のスケジュールが読めなくなるから」
彼女はシャープペンをくるりと回し、テスト前の独特なハイテンションで笑った。
冷房の切れた室内には、紙と鉛筆の匂いが濃く漂っている。

彼女はまるで複雑なパズルを解き明かしていくかのように、僕たちの漠然とした憧れを実行可能なタスクへと分解していく。
その姿は、僕がずっと見てきた太陽のような快活な高槻ひかりとは少し違って見えた。
それは、一つの目標に向かってチームを率いていく、凛とした指揮官の横顔だった。

僕が物語の魂を見つけ出し、彼女がその魂を現実の世界へと歩ませるための道を切り拓いていく。
僕たちは確かに二人で一つだった。
僕は彼女が作り上げたリストの三番目の項目を指差した。
「展示空間のデザイン、それは僕にやらせてほしい」
「もちろん!そのために神木君をスカウトしたんだから!」
ひかりはにっこりと笑い、僕のスケッチブックをテーブルの中央へと押しやった。

僕は鉛筆を握りしめた。

Libからの問いが頭をよぎる。
『かけらは、しょせん、かけらだ。それをどう繋げていく?』
僕はあの時、自分の部屋に閉じこもるしか知らなかった。
誰にも理解されない、あのガラスの箱の中で、ただ観測者であることしかできなかった。

だが、今は違う。
僕は僕の孤独な心象風景を、自らの意志でこの世界に再構築する。
それは、僕自身があの孤独な箱から外へ出るための最初の一歩だ。
僕を信じてくれる仲間が、すぐ隣にいる。
僕は僕にしかできないやり方で、この戦いに参加するのだ。

僕は描き始めた。
僕がずっと囚われていた、あのガラスの部屋のイメージ。
それを今、僕は自らの意志で、現実の世界に召喚しようとしていた。

半透明のアクリルパネルで囲まれた、二畳ほどの小さな空間。
訪れた人は、その「部屋」の外側から、まるで水槽を覗き込むように、中の様子をうかがう。
部屋の中には、一脚の古い椅子と小さな机。
壁には僕が描いた森の奥へと続く獣道の絵。
そして、僕たちが選ぶ、いくつかの物語の一節が静かに書きつけられている。

そして、その中心。
スポットライトを浴びて、ガラスケースの中に置かれているのは、あの一枚の古い貸出カードと『デミアン』の文庫本。

ひかりは、僕のそのスケッチを息をのんで見つめていた。
「…すごい」
彼女は囁いた。
「これ…ただの、展示じゃない。誰かの、心の中、そのものだね」

彼女のその言葉に、僕は救われたような気がした。
僕の孤独な心象風景は、彼女という他者を得て、初めて誰かの心に届くかもしれない「物語」へと変わろうとしていた。

気づけば、窓の外は深い茜色に染まっていた。
放課後の喧騒はとうに過ぎ去り、図書室には僕とひかりの二人だけしかいなかった。
机の上には、完成した僕たちの秘密の設計図が広がっている。

「…ねえ」
不意にひかりが口を開いた。
「神木君の、その、ガラスの部屋。…なんだか、少しだけわかる気がする」
「え…」
「わたしもね、時々そうだったから。転校したばっかりの時とか。周りにはたくさんの人がいて、みんな楽しそうに話してる。でも、その輪の中にどうしても入れない。まるで自分だけ、分厚いガラスの中にいるみたいで。みんなの声は聞こえるのに、わたしの声は誰にも届かない感じ」

彼女のその静かな告白に、僕は言葉を失った。
太陽の中心。
僕がいる世界とは正反対の世界の住人。
そう思っていた彼女のその内側にも、僕と同じガラスの部屋が存在していたのか。
僕の心に、激しい波が押し寄せた。

彼女が、脆い自分自身の過去を僕に言葉で開示してくれた。
それは、僕の孤独への何よりも深く、そして優しい共感だった。

僕は、何も言えなかった。
ただ黙って、鉛筆を手に取ると、描き上げたばかりのガラスの部屋の設計図、その壁の一枚に、ほんの小さな小さな「扉」を描き加えた。
それは、僕が彼女の孤独を受け入れ、そして、僕自身の部屋に初めて招き入れることを決意した、声にならない返事だった。

僕のその意図に気づいたのか、ひかりは、ふふ、と小さく笑った。
その笑顔は、いつもの太陽のような明るさではなく、夕暮れの光のような優しく、そして、どこか儚い色をしていた。


僕たちは、その足で柳先生のいる職員室へと向かった。
部活動のない廊下は、自分たちの足音だけがやけに大きく響く。
掲示板には文化祭の実行委員の募集のポスターが貼られたままになっている。
学校全体での文化祭の準備が始まるのは、まだまだ先だ。
今はただ、テストという壁の向こう側にある「夏休み」を、誰もが静かに待っている。

先生は僕たちの設計図とコンセプトを黙って聞いていた。
すべてを話し終えると、彼は満足そうに一度だけ頷いた。
「…面白い」
彼は言った。
「委員会が決めた、『退屈な結論』よりも、ずっと面白そうだ。…いいだろう。この反乱、顧問として黙認する。ただし、条件がある」
「条件、ですか?」

「ああ。決して派手にやりすぎるな。あくまで、図書室の一角で静かに行うこと。そして、すべての責任は、君たち二人が負うこと。そして予算はなしだ…それでよければ、好きにやってみたまえ」

先生はそう言うと、いつもの皮肉な笑みを浮かべた。
「健闘を祈るよ。反乱軍の諸君」

僕たちは職員室を後にした。
外はもう、ほとんど夜の匂いがしていた。
僕たちの小さな反乱は、今正式に始まったのだ。

やるべきことは山のようにある。
展示する本を選び出し、壁に書き出す物語の一節を探し、アクリルパネルをどこからか手に入れ、そして、何よりも僕が、あの獣道の絵を完成させなければならない。
それは、途方もない道のりだった。
だが不思議と怖いという気持ちはなかった。

「じゃあ、また明日ね」
校門の前で、ひかりがそう言って、手を振った。
「…うん。また、明日」
僕も、か細い声で、そう返した。

彼女の姿が、夜の闇に消えていくのを見送る。
部活帰りの生徒がいない通学路は、いつもより広く、そして暗い。
だが、その静けさが心地よかった。テストさえ乗り越えれば、そこには誰もいない校舎と、僕たちだけの夏休みが待っている。
僕の心臓は静かに、しかし、力強く脈打っていた。

Libの問いが、再び頭をよぎる。
『かけらは、しょせん、かけらだ。それをどう繋げていく?』
その答えは、まだ見つからない。
だが、僕は今確かに、その次のページを書くためのインクを手に入れた。

それは、一人で見つけた宝物ではない。
二人で見つけ出した、あの古い貸出カードと、ひかりが僕のスケッチに書き加えた色鉛筆の跡と、そして柳先生のあの共犯者のような笑み。
それらすべてが、僕の新しいインクだった。
僕は、夜道を歩きながら、僕の、そして、僕たちの、新しい物語の始まりを反芻していた。

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