『物語リクのスケッチブック「第三の道と古びた地図」』
リクとヒカリは、分かれ道の前で立ち尽くしていた。
右へと続く、リクのか細い「光の道」。 左へと続く、ヒカリの力強い「音の道」。
そのどちらもが真実で、そしてどちらもが孤独だった。
リクは自分の「目」を信じたい。
彼女は自分の「耳」を信じたい。
このままでは、二人は別々の道を歩むしかないのだろうか。
出会う前よりも、もっと深い孤独の闇の中へと。
「…行こう、リクくん」
先に沈黙を破ったのはヒカリだった。
彼女はリクの目をまっすぐに見ていた。
「わたしは、この声が聞こえる方へ行く。リクくんは、光が見える方へ行くといいよ」
その言葉は優しかったが、リクの胸には冷たい刃のように突き刺さった。
それは二人の決別を意味していた。
リクは何も言えなかった。
ただ唇を噛み、彼女に背を向けて自分の信じる道へと足を踏み出そうとした。
その時だった。
リクの視界の端、足元の暗い泥の中に、奇妙な「光」が瞬いた。
それは道を示唆するいつもの光とは違う、砂金のように儚く、それでいて強く訴えかけるような燐光だった。
他の誰の目にも留まらないであろう、わずかな輝き。
だが、リクの「目」はそれを見逃さなかった。
彼は足を止め、泥の中に手を突っ込んだ。
「リクくん…?」
背後でヒカリが怪訝そうな声をあげるのも構わず、リクはその光源を掴み出し、泥を払った。
それは一枚の古びた羊皮紙だった。
ただの汚れた紙切れに見えるが、リクの目にはその表面に複雑な光の脈動が走っているのがはっきりと見えていた。
「……そこに、誰かいるのか?」
リクが呟いた瞬間、地図から溢れ出した光が空中で像を結んだ。
「――若者たちよ。ずいぶん面白い地図の読み解き方をするのだな」
ふいに響いた声に、ヒカリが息を呑む。
そこには灰色のローブをまとった老人が佇んでいた。
いや、そこに実在しているのではない。
まるで古い映写機が空中に映像を投射しているかのように、その姿は透き通り、時折ノイズのように揺らいでいる。
それはリクが見つけたこの地図に深く刻み込まれた、かつての持ち主の記憶だった。
老人の幻影は、まるで今この瞬間を見ているかのように二人を交互に見比べた。
「そちらの若者の目に見えているのは、世界の表層の下に隠された、たった一つの真実へと続く光の糸だ。それはあまりに個人的で鋭すぎるがゆえに、他の誰にも見えない。いわば、魂が惹かれる方角だけを指し示す、孤独なコンパスだ」
その静かだがよく通る声は、リクの目の本質を見抜いていた。
リクが泥の中からこの地図を見つけ出せたのも、その孤独なコンパスがあったからだ。
「そして、そちらの嬢ちゃんの耳に聞こえているのは、この世界のあらゆる場所に散らばる無数の声なき声……喜びや悲しみの歌だ。それはバラバラな歌を、一つの誰もが歩ける物語の道筋として描き出す、万人のための温かい地図なのだ」
老人の姿がふわりと揺らぎ、二人の間を仕切るように分かれ道の真ん中へと移動した。
「孤独なコンパスも、温かい地図も、どちらも正しい。だが、君たちは自分の道具の正しさだけを主張している。それでは、どこへもたどり着けはしない」
幻影の老人は、リクの手にある地図を透き通った指先で指し示した。
「君たちが本当に探すべきは、自分のコンパスや地図が指し示す場所ではない。君たちが探すべきは、君たちよりも先にこの道を歩いた誰かの『足跡』だ」
老人の言葉に合わせ、リクの手の中にある地図の上にうっすらと光の軌跡が浮かび上がる。
「なぜこの場所に、これほど強い光が残っているのか。なぜあの路地の奥から、か細い声が聞こえてくるのか。その理由を探すんだ。過去の誰かの喜びや悲しみの記憶を、この古い地図の中から見つけ出すんだ」
リクとヒカリは顔を見合わせた。
老人の言葉は、リクの道でもヒカリの道でもない、全く新しい「第三の道」を指し示していた。
リクの目が見つけ出し、彼女の耳が物語を読み解く。
その二つの力を合わせれば、この古い地図に隠された、過去の誰かの足跡を辿ることができるかもしれない。
「…面白い足跡が見つかるといいな」
老人はそれだけを言うと、満足げに微笑んだ。
次の瞬間、彼の姿はフィルムが焼き切れるようにプツリと掻き消え、元の静寂が戻った。
残されたのは、リクとヒカリ。
そしてリクの手の中にある、一枚の古びた地図。
二人の目の前には相変わらず、二つの道が分かれている。
だが二人の心の中に、もう迷いはなかった。
リクは改めて、その地図を強く握りしめた。
「…探そう、ヒカリさん。僕たちの道じゃない、この地図に隠された誰かの道を」
「うん!」
ヒカリは太陽のような笑顔で頷いた。
リクの内なる孤独な心象風景と、外の世界に響く声なき声へと惹かれていくヒカリの感受性。
すれ違い続けていた二人の力が今、たった一つの誰かの足跡という宝物を見つけ出すために、完璧に一つに重なった。
二人の目には同じ決意と、これから始まる冒険への確かな高揚感が宿っていた。
二人の本当の共同作業が、この分かれ道の前で今、確かに始まったのだ。

コメント