【小説】あの夏の光(47)Libの正体

小説

Libの正体

最後の物語は、自分自身のけじめのため、そしてリクとヒカリのためだけに書いた。
そこに何ひとつ偽りはない。
だからこそ、最後の行を打ち終えたとき、僕は自分のブラウザからサイトのブックマークを削除していた。
契約しているレンタルサーバーも、来春の更新タイミングで解約するつもりだった。

もう終わったはずだった。
あの瞬間、僕は過去のすべてと決別したつもりでいた。
けれど――何も期待していなかったと言えば、嘘になる。
物語の完結をLibに読んでほしいと、心のどこかで強く願っていたのだ。
そしてただ、最後だけでも肯定の言葉で僕を認めてほしかった。

深夜の月明かりのなかで、僕は無意識のうちにURLを直接打ち込み、自分のサイトを開いていた。
すると、そこには。
一通のコメントが届いていた。
Libからのメッセージ。
自分でも驚くほど手が震え、画面の光がにじんで見える。
これが幻でないことを確かめるように、僕はその短い一文を、何度も、何度も読み返した。

Lib:素晴らしい結末だった。
リクは、ついに一人で、歩き出す覚悟を決めた。
その旅立ちの前に、一度だけ会わないか。
作者よ、君の物語の完成を祝いたい。
君の最初の読者として。

僕の心は激しく揺れた。
ブックマークを削除したあの瞬間に、僕の物語も、Libとの対話もすべて終わったはずだったのに。
今さら会って、何を話すというのだろう。
こんな僕の何を祝うというのだろうか。

だが、僕の心の奥底で一つの感情が静かに生まれていた。

感謝

僕がガラスの内側から一歩を踏み出すことができたのは間違いなく、Libがいたからだ。
Libの鋭く、そして、どこまでも誠実な言葉が僕を導いてくれた。
礼を言わなければならない。
そして、この不思議な関係に僕自身の手で、本当の終止符を打たなければならない。

僕は震える手で、返信を打ち始めた。
「ありがとうございます。お会いしたいです」

すぐに返信が来た。

場所は、駅前のカフェ・ガラス玉遊戯。
窓際の一番奥の席で待っている。
明日、日曜日の午後四時。

画面の文字を見た瞬間、僕は凍りついた。
カフェ・ガラス玉遊戯。
ネットの向こうにいるはずのLibが、なぜ僕の地元の、あの店を指定してくる……?
動揺でざわめく思考の中で、記憶のピースが強烈な磁力を帯びて結びついていく。
そこは、柳先生と偶然に遭遇したあの喫茶店だった。
あの日、僕と高槻ひかりが買い物帰りに寄ったあの場所だ。
凍りついた僕の脳裏に、放課後、裏門で突き放された時の先生の冷たい声が蘇る。
『近いうちに、お前が嫌でも自分自身と向き合わなきゃならない時が来る。その時までに、せいぜい答えを準備しておけ』

「そういうことだったのか……」
全身の血が粟立つような感覚とともに、一つの確信が僕を打ち据えた。
Libの正体は、柳先生だ。
僕を導くようなあの鋭い言葉の数々も、この場所の指定も、先生ならすべて説明がつく。
柳先生は、僕のサイトのURLも知っている。

あの日以来、廊下ですれ違っても僕に視線すら向けなくなった先生。
僕はもう、完全に見捨てられたのだと絶望の底にいた。
けれど、違ったのだ。
先生は現実で僕を突き放す一方で、僕が暗闇のなかで無様に絞り出す「言葉」を、Libとして最後まで見届けてくれていたのだ。

僕は机の上に置かれたままになっていた、福永武彦の『愛の試み』に視線を落とした。
『逃げて、沈黙して、やり過ごした後に残るのは、空っぽの白紙だけだ』
逃げ回り、返すことさえできずにいたその本を、僕は手に取った。

これを持っていこう。
醜さごと差し出したこの物語が、先生から突きつけられた「沈黙のツケ」に対する、僕なりの答えだ。
明日、すべてがわかる。

翌日、僕は『愛の試み』をジャケットのポケットに入れ、カフェ・ガラス玉遊戯へと向かっていた。
久しぶりに街に出ると、そこは僕の知っている日常とは違う、異質な熱気に包まれていた。
街路樹には銀色のモールが巻きつけられ、店舗の窓は赤と緑の装飾に彩られている。
通りを歩く若い男女は、誰もが示し合わせたように腕を組み、楽しげな紙袋を揺らしていた。

街全体が、「クリスマス」というあらかじめ用意された幸福の形式に、疑いもなく身を委ねている。
かつての僕なら、そんな彼らを安全な場所から冷笑し、孤独を気取っていただろう。
だが今の僕には、彼らを批評する傲慢さすら残っていなかった。
すべての形式が壊れ、決定的な断絶の底にいる僕にとって、この街の眩しい光も、どこからか聞こえてくる軽快なジングルベルのメロディも、ただ自分を通り抜けていく風景でしかない。

「今日、クリスマス・イブだったんだな」

僕は思わず立ち止まる。
彼女は今、どこでどうしているのだろうか。
誰といるのだろうか。
その想像を、僕はすぐに心から振り払った。

僕は約束のカフェの前に立っていた。
ガラスの扉越しに、店内を覗き込む。
窓際の一番奥の席。
そこに座っている人影を見た瞬間、僕の思考は完全に停止した。
柳先生でも、見知らぬ大人でもない。

高槻ひかり

ひかりは一人で、静かに文庫本を読んでいた。
肺から急激に酸素が抜け落ち、自分がどんな姿勢で立っているのかすら分からなくなった。
だがその時、彼女がふと顔を上げ、僕の存在に気づいた。
そして小さく手を振っている。
僕に向かって。
僕はまるで夢遊病者のように店の中へと足を踏み入れた。

ひかりの前に立つ。
そこにあったのは、夜の月のような、静かで寂しげで、そして決意を秘めた表情だった。

「……高槻さん。どうして、ここに……」
僕がかろうじて声を絞り出すと、ひかりは静かに僕の目を見つめ、対面の席を指差した。
「座って……」

注文を通した店員が去ったあとも、僕たちはただ沈黙の中に固まっていた。
やがて、ひかりは自嘲するようにかすかに唇を噛み、コーヒーカップの縁をそっと指でなぞった。
それから、静かに口を開いた

「Libってね、リーベルタース(Libertas)の略で、ローマ神話の自由の女神なの」
ひかりは僕ではなく、カップに向かって囁いた。
「自分が仮面を被ったままなのに、誰かを自由にしようとするなんて……ほんと、バカみたいだよね」

そして、すぐにその表情を消し、僕をまっすぐ見据えた。
「神木君が最後に書いた物語……『きみに贈る光の行方』、読んだ」
その声は、震えていた。
そして、口調が急に変わった。
「素晴らしい結末だった。作者よ、リクはついに、ヒカリの孤独を理解した。ヒカリが笑顔の下で、どれだけ『声』を受け止め、一人で耐えていたか……」
脳の奥でけたたましい警報が鳴り響き、全身の血が沸騰したように駆け巡るのがわかった。
その口調は……、そして、なんで、ひかりが最終章を読んでいるんだ。

ひかりの瞳が潤んでいるのがわかった。
「……ありがとう。……本当に、嬉しかった。やっと届いたんだって……私の本当の『声』が、神木君に」

僕は言葉を失った。

「……でも、」
また、彼女の声のトーンが変わった。
彼女はギュッと膝の上のスカートを握りしめ、まるで自分に言い聞かせるように、一段低い声を作った。
「私は、その結末が許せなかった」
彼女は僕を強く見据えた。
「作者よ。リクは本当に一人で歩き出すのが一番の幸せなのか?リクはヒカリの孤独も、その笑顔の裏側に潜む脆さも理解したはずだ。それなのに、なぜ一人で旅立たせた」
その声は震えていた。
必死で涙を堪えながら、それでも僕に言葉を届けるために、彼女はあえて『あの仮面』を被ろうとしていた。

「忘れるな。リクがヒカリの孤独を理解したように、ヒカリもまた、リクの孤独の痛みを誰よりも理解している。リクが一人でその闇を背負う必要など、どこにもないはずだ」
その口調は、紛れもなくLib、その人の文体だった。

混乱する僕をよそに、ひかりは続けた。
「だから、私も覚悟を決めたの。もう、太陽の仮面を被っているのはやめようって。……リクくんの物語を、終わらせないために」

「……なんで……なんで、た、高槻さんが、Libなんだ……」
僕は、なんとか言葉を発することができた。
ひかりはその問いに、すこし目元を歪め、悲しそうに微笑んだ。
カップの縁をなぞっていた指先が、微かに震えている。

「ごめんね……ずっと、黙ってて」
彼女は一度言葉を切り、深く息を吐き出した。
湯気の消えた、冷めきったコーヒーの表面に、かすかな揺らぎが広がる。

「……最初はね、ただの『似たもの同士』だと思ってたの」
視線をテーブルの端に落としたまま、ひかりはポツリ、ポツリと言葉を拾い上げるように話し始めた。

「賑やかな教室の隅で、いつも難しい本を抱えて……誰とも話さないでいる神木君を、見てた。私と一緒だ、って勝手に思ってた。私、みんなの前ではちゃんとした顔で笑わなきゃいけないのに、本当は息もできないくらい、苦しくて……。だから、神木君が一人で頑なに線を引いているのを見て、変に安心しちゃったんだよね。私と同じだって思いたくて、勝手に遠くから眺めてたの」

そこで彼女は言葉を詰まらせ、両手でぎゅっと膝の上のスカートを握りしめた。
指関節が白くなるほどの力が入っている。

「それが……あの、文芸コンテストの詩を読んだ時、変わったの」
ひかりが顔を上げた。
その瞳は揺れていたが、まっすぐに僕を射抜いていた。

「心臓が、止まるかと思った……、『あのひと』が私だって、すぐに分かっちゃったから。神木君は私を『太陽』だって書いたでしょう? 遠い世界の、眩しい光だって。……嬉しかったんじゃないの。怖かったの。私が必死で作ってきた『理想の笑顔』を……神木君は、残酷なほど綺麗に切り取ってみせた。みんなが騙されてる私の仮面を『太陽』って呼ぶことで……その輪郭を、暴かれちゃったみたいで」

彼女の声が、かすかに裏返る。
ひかりは慌てて唇を噛み、一度俯いた。
喉を鳴らして荒い吐息を漏らす。

「……でもね。それだけじゃなかったの」
落とされた視線の先で、彼女の長い睫毛が濡れて光っていた。

「あの詩には……痛いくらいの憧れと、熱があって。……気づいちゃったの。ああ、この人は私を見てるんだって。ガラスの向こうから、私に……私に、恋をしてくれてるんだって。……生まれて初めて、思ったの。見つけてもらえた、って。本当の私も、特別な想いも……全部、あの詩の中にあった」

ぽつり、とテーブルの上に小さな水滴が落ちた。
「……私、ずっと、怖かったんだよ」
声が震え、嗚咽を堪えるように彼女の胸元が上下する。

「仮面を外したら、みんな、いなくなっちゃうんじゃないかって……ただの臆病な女の子だってバレるのが、怖くて……。でも、神木君の詩を読んで……いたんだ、って。私と同じ痛みを抱えてる人が、ここに一人いるんだって……」

彼女は途切れ途切れに息を吸いながら、胸のあたりをキュッと押さえた。
言葉が感情の波に飲まれそうになるのを、必死で繋ぎ止めている。

「だから……もう、逃げられないって思ったの。私はこの人に会わなきゃいけない。この孤独を分かち合えるのは……私をこんな風に見つめてくれるのは、世界中で神木蒼太しかいないんだって……」

「……近づきたかった。どうしても」
ひかりは何度も小さく頷きながら、震える手で目元をぐっと拭った。

彼女は、最初からあの詩の作者が神木蒼太、つまり僕だと確信していたという。
作者が僕であることを確認するために、柳先生を頼ったのだという。

「サイトのURL……柳先生に教えてもらったの。先生に全部……正直に話して。それでも、最初は、先生、何も教えられないって。でも、何度も放課後に先生のところに行って、お願いして……。先生、ずっと迷ってたけど『自分と同じ空白を、あいつに抱えさせたくない』って、独り言みたいに言って……教えてくれた…..」 

僕は絶句した。
柳先生はLibではなく、僕を救おうとするひかりの「共犯者」だったのだ。
小さくざわめく店内の空気の中、彼女の小さな呼吸の音が静かに響く。

「……怖かったよ。Libとしてコメントするの、いっつも手足が冷たくなって……震えながら送信ボタン押してた」
ひかりは微かに息を吐き出すと、自嘲を含んだ痛々しい笑みを、わずかに浮かべてみせた。

「だって、Libは冷たい『批評家』じゃなきゃいけなかったでしょ? 神木君を焚きつけて、一歩でも外に引きずり出すための……役目。でもね……画面の前で、私、何度も泣いてたんだよ。神木君の書く文章が、痛くて……。読んでいると、それが自分のことみたいで……本当は、救いたかったのか救われたかったのかも、分からなくなるくらい……」

言葉が詰まる。
ひかりはカップを持ち上げようとしたが、カチャカチャと磁器の重なる小さな音が店内に鳴り、諦めたように指を離した。

「……批評的なことしか書けないのが、ずっと苦しかった。だから、直接話したくて近づいたの。プリントアウトした物語、手渡してくれるようになった時……本当に嬉しかった。『Lib』じゃなくて、ただの私として話せたから……」

そこで彼女は、ふっと肩の力を抜くように小さく息を吐いた。

「……ヒロインの名前が『ヒカリちゃん』から『ルカちゃん』に変わってたの……ちょっと、びっくりしたけどね」
泣き顔のまま、ひかりは悪戯っぽく、でも優しく言った。

僕は知った。
Libの鋭い言葉も、ひかりの優しい笑顔も、すべてが同じ一つの少女からの、不器用で、遠回しで、そしてあまりに切実な愛の告白だったことを。
僕が彼女を見ていたように、彼女もまた、ずっと僕を見ていてくれたのだ。

これまで僕の内側で凍りついていた何かが、抗いようのない熱となって溢れ出すようだった。
僕は、ジャケットのポケットの僅かな厚みを、ひりひりとした皮膚感覚で感じていた。
その中には、柳先生から借りたままのあの本が眠っている。
『……愛の試み』
不意に、そのタイトルが脳裏で激しく明滅した。
これだったのか、と僕は思った。
暗闇にいる僕の手を掴もうと足掻き続けたひかりの執念。
それが、どれほど身勝手で、どれほど尊い「愛の試み」であったか。
そのあまりの重さと温かさに、頭の中の思考が完全に焼き切れた。
冷え切っていた僕の芯に、彼女の熱が直接流れ込んでくる。
これまで頑なに守ってきたはずの冷たい殻が、音もなく溶け出していくのを感じながら、僕はただ、呼吸をするのが精一杯だった。

静寂が、僕たちを包んだ。
言葉を交わさなくても、お互いがどれほど遠回りをして、どれほど傷つきながらここに辿り着いたのか、それがひたひたと伝わってくるような時間だった。
ひかりは僕を直視することなく、少しだけ照れくさそうに、けれどどこか遠くを見るような目でコーヒーカップを覗き込み、ポツリと呟いた。

「……ねえ、神木君」
「……うん」

「……図書室で、ずっと待ってた……神木君が来てくれなかった時、私、本当にすべてが壊れちゃったって思ったの。だから、諦めて……もう二度と本当の自分なんて出さないで、一生、仮面を被って生きていくしかないんだって……」

その言葉に、床の底が不意に抜け落ちたような、強烈な眩暈を覚えた。
「ごめん……」
僕は震える声で、絞り出すように言うのがやっとで、他の言葉が続かなかった。

ひかりは首を横に振った。
目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「ううん……違うの」
濡れた頬のまま、少しだけ優しく微笑んだ。

「最後の物語を読んで……分かったの。あの時、神木君も同じように、ボロボロになって、一人で泣いてたんだって。リクくんの覚悟は、神木君の私への想いなんだって……」

潤んだ瞳がまっすぐ僕を捉える。
「リクくんからヒカリちゃんへの手紙……の最後、ひらがなで『ひかり』ちゃんって書いていたでしょ……」
小さく息を吸い込み、彼女は震える声で続けた。
「……私、気づいた瞬間、泣いちゃった、ずっと……」

その言葉を聞いた瞬間、目の前の輪郭がぐしゃぐしゃに歪み、僕は彼女の顔をまともに見ることができなくなった。
彼女は「僕が形式を捨てたこと」から僕の想いを見つけ、そして、泣いてくれていたのだ。
それは、ひかりが僕の孤独の檻を、最後の一撃で壊してくれた瞬間だった。

「僕は……」
僕の頬にも、熱い何かが伝っていた。

「僕は……き、傷つくのが怖くて……ただ逃げ続けた……さ、最低な、」
ひかりが僕へと近づいた。
その唇が、震える僕の言葉をそっと塞ぐ。
それはシャボン玉のようにはかなく、そして、虹色のかけらよりも、ずっと温かい感触だった。

彼女が僕から静かに離れた後、思考は完全に停止した。
僕の唇には、微かな温もりと、あまりに巨大な衝撃だけが残っている。
心臓がまるで打楽器のように、肋骨の内側を激しく叩き、轟音を立てた。

「……あ、え、」
喉が張り付いて、情けない声しか出ない。
言葉の形式が、僕の口から完全に失われた。
店内には控えめなクリスマスの装飾と、恋人たちのはずんだ声があるが、僕の耳にはすべてが水底にいるかのように遠い。
目の前のひかりの顔を直視できない。
彼女の表情を見たら、僕の感情が制御不能になると直感したからだ。

僕は、行き場を失った視線を、コーヒーカップや窓の外の街路樹の光へと、必死に彷徨わせた。
頭の中では、「これは現実なのか?」「本当に、今、起きたことなのか?」という疑念だけが、熱された鉄のようにぐるぐると渦巻いている。
ひかりは口元に手を当てて、うつむいている。
彼女の頬も、僕と同じように真っ赤に染まっているのが視界の隅でわかった。

僕は、どうにかこの張り詰めた空気を逃れようと、視線をテーブルの端にさまよわせた。
そこに、ふと目に止まったものがあった。
簡素だが丁寧に包まれた、長方形の塊。
それは、僕が席に着いたときにはなかったはずのものだ。
――彼女が、僕に渡そうとしていたもの?

ひかりは、僕がその包みを見つめているのに気づくと、慌てたようにそっとそれに手を伸ばした。
そして、キスの余韻を打ち消すように、照れ隠しとして、その小さな包みを僕に差し出した。
ひかりは僕を見つめ、少しはにかんだように微笑んだ。
「あ、ええと……メリークリスマス、蒼太君」
ひかりは、僕を下の名前で呼んだ、とても自然に。
まるで、ずっと前からそう呼んでいたかのように。

僕は恐る恐る、その包みを受け取る。
視線をどこへ向ければいいのか分からないまま、ただ熱を持った指先をごまかすように、震える手で包み紙を破った。
そして、中身を見た瞬間。
僕は息を呑んだ。

そこに、あったのは――。
あの、あかがね色の絹張りの、分厚い単行本。
ミヒャエル・エンデ『はてしない物語』
僕が彼女の誕生日に渡せなかったあの本。
僕の部屋の棚の隅に、いまだに置いてある、あの本。

あまりに僕が驚いているので、ひかりは不思議そうな顔をして僕を見た。
「どうしたの、蒼太君……」
「あ……いや、これは、その……あ、ありがとう……」

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