文化祭直前、木村大和という「完璧な形式」の光を目の当たりにした蒼太は、自らの劣等感と焦燥感に耐えきれず、文化祭の終わりにひかりへ「告白」して関係を確定させることを決意する。迎えた文化祭前夜。完成した『ガラスの部屋』のアトリエで、ひかりはその閉ざされた静寂を愛おしむように見つめていた。しかし、大和のような「光の世界の住人」になることこそが彼女への誠実だと信じ込む蒼太は、そのガラスを自ら叩き割る宣言をする。自らの孤独の理解者を失いかけたひかりの微かなSOSを、蒼太は再び「僕を心配してくれているのだ」という都合の良い解釈で塞ぎ込んでしまうのだった。
文化祭の終わりと星空の残骸
文化祭、初日。
僕たちの小さな宇宙『たった一人のための物語』展は、静寂の中にあった。
廊下を行き交う生徒たちの華やかな喧騒が、まるで遠い世界の音のように聞こえる。
僕たちの展示には、誰も来なかった。
時折、間違えて入ってくる生徒が物珍しそうに中を一瞥し、「何これ、暗っ」と一言呟いて去っていく。
その無関心な刃が、僕の心を少しずつ削っていく。
だが、僕の隣でひかりは少しも下を向かなかった。
彼女は時折、埃の積もった書見台をハンカチで拭いたり、歪んだ窓枠の角度を直したりしながら、ただ静かにそこに立っていた。
西日が和紙を貼られた窓枠を通り抜け、彼女の横顔を照らし出す。
その光景は、僕がこれまで見てきたどんな芸術作品よりも美しかった。
(彼女は僕を信じている。僕のすべてを肯定してくれたんだ)
その揺るぎない信頼の光を見て、僕は心の中で静かに誓いを立てた。
この祭りが終わったら、僕は、この曖昧な関係に『告白』という形式を与えるんだ。
たとえその答えが僕の孤独の城壁を完全に破壊することになるとしても、僕はもう恐れない。
これは、僕の「愛の試み」なのだから。
二日目の、午前中。
奇跡は起きた。
数人の生徒たちが、僕たちの展示を訪れてくれたのだ。
彼らは派手なクラスTシャツも着ていない、どこか僕と同じ種類の影をまとった生徒たちだった。
何も言わず、ただゆっくりと僕たちの宇宙を見て回り、そして出口付近の壁に据えられた、あの重厚な掲示板の前で足を止めた。
柳先生がくれたカンパの残りで、僕たちがホームセンターへ足を運び、一番いい木材とコルクを選んで作り上げた自作の掲示板。
展示が終わっても「魂の避難場所」として残ることを願って作ったその場所に、僕たちは「あなたの人生の、たった一冊を教えてください」という言葉を添えていた。
そこには、訪れた数少ない「孤独な住人」たちが残した、静かな告白が並んでいた。
『銀河鉄道の夜』『こころ』『グレート・ギャッツビー』『長距離ランナーの孤独』『ライ麦畑でつかまえて』『赤毛のアン』『金閣寺』『人間失格』……。
震えるような文字で書き込まれた付箋の数々。
その小さな足跡の一つ一つが、僕の心にせまった。
「……届いたね」 ひかりが囁いた。
僕も声もなく頷いた。
僕たちの勝算なき反乱は、確かに意味があったのだ。
午後になり、さらに数人の来訪者を見送った静寂の合間だった。
ひかりがふと、熱を帯びた瞳で僕を見た。
「ねえ、神木君。もっと……もっと多くの人に、この場所を届けたいね」
その言葉に、僕は少しだけ戸惑った。
僕はこの掲示板に並んだ、たった数枚の濃密な言葉だけで、十分に満たされていたからだ。
けれど、光の中にいる彼女の願いを否定したくなくて、僕は調子を合わせるように頷いた。
「……そうだね」
「うん……そうだよね」
ひかりは僕の言葉を確かめるように繰り返すと、一度だけ小さく、強く頷いた。
一瞬、彼女が何かを思案するように視線を宙に彷徨わせた気がしたが、僕がその意味を考えるよりも早く、アトリエの静寂は破られた。
「ひかりー! こんなとこにいた!」
その声と同時に、アトリエの空間が一変した。
ひかりの友人たち――太陽のように眩しいグループが、光と熱をそのまま持ち込むかのように、僕たちの静かな世界に現れた。
そして、戸口に立っていたのは、木村大和だった。
全校壮行会で僕の心に決定的な劣等感を突きつけた、『完璧な形式』を持つ男。
彫刻のように整った顔立ち、陽光を吸い込んだような明るい髪、そして何よりも、周囲のすべてを照らし出すような圧倒的なオーラ。
その存在が今、現実の光と熱を持って立っている。
「うわ、すげー! 全部作ったの? クオリティ、高っ!」
彼らは悪意なく僕たちの作品を褒める。
だが、その言葉は僕たちの魂の核心には少しも触れていなかった。
大和は、まるで世界の中心から語りかけるかのように言った。
「ひかり、もういいだろ! 模擬店回ろうぜ。焼きそば、売り切れちゃうよ」
僕の耳に届いた、何の気なしに発せられた「ひかり」という呼び捨てが、二人の間に流れる親密さを冷酷に突きつけた。
ためらうひかりの腕を、別の女子が引っ張る。
その時、大和は僕の方を振り返ると、底抜けの優しさに満ちた笑顔で言った。
「神木君も、来る? 一緒に回ろうぜ」
僕は頭を殴られたような衝撃を受けた。
それは、僕が最も恐れていた種類の残酷さだった。
その誘ってくれる優しさに、僕は完全に打ちのめされた。
それは僕がその世界の住人では決してないという事実を前提とした、王者の施しだった。
「……僕はいい。ここ見とく」
「高槻さん、いっておいでよ」
僕は平静を装い、そう答えるのが精一杯だった。
ひかりは僕に「ごめん」という形に口を動かすと、太陽の引力に引かれるように、「すぐ戻るから!」と告げて彼らの輪の中に消えていった。
一人残されたアトリエで、僕は壁に貼られた無数の付箋を見つめていた。
届いたはずの声が、もう聞こえない。
僕の心は、再び絶対零度の静寂に包まれようとしていた。
そして、その日、終了の時間になっても、ひかりは図書室に戻ってこなかった。
最終日の朝。
僕は図書室の扉を一人で開けた。
がらんとした空間。
昨日までの熱が嘘のように冷え切っている。
あんなに鮮やかだった『共犯の青』は、今やただの汚れたチョークの粉の塊に見えた。
飛び立ちそうだった鳥は、壁に釘付けにされた剥製のように僕を嘲笑っていた。
そして、僕は見てしまった。
賑わいのある中庭の一角。
大和のグループが笑い声をあげながらクレープを分け合っている。
その輪の中に、ひかりがいた。
昨日と同じ太陽の光を浴びて、彼女は心から楽しそうに笑っていた。
「すぐ戻るから」という昨日の言葉。
あれは、僕を傷つけないための『社交辞令』だったのだ。
僕の『星空』で孤独を受け入れたはずの彼女は、僕の知らないところで、『太陽』という彼女の『形式』を完全に謳歌していた。
その事実に、僕の胸は激しい嫉妬と裏切りで張り裂けそうになった。
午前中、なぜだか驚くほどの数の生徒が訪れてくれた。
けれど、僕の心は空虚だった。
おそらく大和たちが「面白い場所がある」とでも広めたのだろう。
僕たちが魂を削って作った聖域は、太陽の住人たちの「暇つぶしの情報」として消費されていた。
どれだけ多くの人が来ても、そこにひかりがいなければ喜びの欠片もない。
「驚いたな、大盛況じゃないか。……なんだ神木、ひとりなのか」
やってきた柳先生の何気ない一言が、僕の心を完全に押しつぶした。
先生は何かを察したような曖昧な表情で頷くと、生徒たちの陰に紛れて消えた。
ひかりがやってきたのは、昼過ぎだった。
「ごめん! 寝坊しちゃって……」
彼女は申し訳なさそうに言った。
(寝坊? 違う。僕は、君が中庭で笑っているのを、見た)
「……別に、いいよ」
僕の言葉は冷たく、彼女の顔を見ずに発せられた。
彼女が僕に向けて、これほど安易な『形式の嘘』を選んだという事実が、僕の心を深く抉った。
僕たちの間に、重く冷たい沈黙が落ちる。
幸いなことに、来場者は途切れることなく続き、説明や案内で僕らは息をつく暇もなかった。
とうとう、文化祭の終わりを告げる放送が流れるまで、僕たちはほとんど言葉を交わさなかった。
片付けをしながら、僕は自分の愚かさを噛みしめていた。
何が『孤独を賭けて、愛す』だ。
自分でも笑ってしまう。
現実の光に触れ、少しでも自分が孤独になるかもしれないと知った瞬間、僕は彼女を拒絶した。
彼女のささやかな嘘も、彼女が享受すべき幸福も、何もかも許容できないただの独善だった。
僕は彼女のすべてを受け入れる覚悟など、微塵もなかったのだ。
僕は彼女に、『僕の孤独』という形式を強要しようとしていただけだった。
彼女と一緒に、このガラスケースの中に閉じこもりたかっただけなのだと、ようやく気がついた。
この「愛の試み」は、彼女への告白の準備などではなかった。
それは、傷つくことを恐れる僕自身が、孤独という安全な場所に戻るための、言い訳の儀式にすぎなかったのだ。
ひかりが「手伝うよ」と、僕が描いた壁画を運ぼうとする。
僕はその手を、反射的に振り払ってしまった。
「……一人で、運べる」
ひかりの瞳が、悲しそうに揺れるのを、僕は見ないフリをした。
だが、彼女はアトリエから出ていこうとはしなかった。
息の詰まるような重い沈黙の中、僕たちは無言で片付けを始めた。
彼女が丁寧に和紙を貼った古い窓枠から、僕は乱暴に紙を剥がしていく。
ビリビリという破れる音が、冷え切った空間に乾いて響いた。
僕たちの魂の結晶だった『獣道の森』の壁画は、僕が濡れた雑巾でひと撫でするだけで、ただの汚れた黒板へと成り下がった。
チョークで描かれたあの『共犯の青い鳥』が、黒く濁った水滴となって雑巾からバケツへと滴り落ちていくのを、僕はただ黙って見つめていた。
その間、ひかりは黙って、僕が床に落とした和紙の切れ端を拾い集めていた。
ゴミ袋に無造作に突っ込まれた木屑やゴミを見下ろしながら、僕は、自分自身の手で僕たちの宇宙をただの「無価値なゴミ」へと還元し終えたことを知った。
残すことになる壁の掲示板が目についた。
本のタイトルが並ぶ、生徒たちが貼り付けた付箋の中に、僕が記した福永武彦『愛の試み』が目に留まる。
開け放った窓からの風にはためいて、今にも剥がれそうだ。
僕の試みは、終わったのだ。
自己嫌悪という名の残骸だけが、僕と彼女の間に、無様に横たわっていた。
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<文化祭が終わり、蒼太とひかりは、元の影と光の存在に戻った。そんなある日、蒼太の前にひかりが立つ>

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