【小説】あの夏の光(30)お金で買われた光

小説

展示への葛藤を抱え立ち寄った喫茶店で柳先生と遭遇した二人は、先生の過去を重ねた助言と「カンパ」という援護射撃を受ける。蒼太はひかりに自身の孤独の原点である母の話を打ち明けた。ひかりはそれを『デミアン』の一節と重ねて肯定し、二人の信頼関係は揺るぎないものとなる。展示の完成、そして運命の文化祭へ向け、二人の共犯関係は加速していくように見たが…

お金で買われた光

“カフェ・ガラス玉演戯”を出た僕たちの手には、先ほどまでの接着剤の袋に加え、柳先生が残した二万円という、生々しい「現実」が握られていた。

夕暮れの光が、僕とひかりの影を長くアスファルトに伸ばしている。
僕はまだ、ひかりに自分の「ガラスの部屋」を告白したことの余韻と、彼女が『デミアン』の言葉で応えてくれたことへの高揚で、胸が熱かった。

「……あの、さ」
僕が切り出した。
「先生の、あのお金……どうしようか」

ひかりは、僕の隣で、まるでスキップでもしそうな足取りだったが、その言葉にぴたりと足を止めた。 「決まってるよ!」
彼女は僕に向き直り、目を輝かせた。
「あのライトだよ! ホームセンターで神木君が見てた、あのスポットライト!」

僕は、テーブルの上のお札を見たひかりが「あのライトが買えるね」と呟いたのを思い出していた。 「でも……」
僕はためらった。
「僕たちのルールは、『ガラクタの反乱』だ。
『廃材のみ』っていうのが、僕たちの……大切な、約束だったはずだ」

「約束?」
ひかりは、僕の言葉を不思議そうに繰り返した。
「神ルールって、『良い展示を作るため』にあるんじゃないの? だったら、もっと良くするためにルールを変えるのは、当たり前だよ」
「神木くんの描いたあの森、本当にすごいよ。だから、絶対にあそこには本物の光が必要なの」

「当たり前だ」という彼女の言葉は、僕が必死に積み上げてきた『ガラクタの城壁』を、ただの効率の悪さと切り捨てる、あまりに正論で残酷な響きを持っていた。

その合理性が、僕の心をざわつかせた。
「違うんだ」
僕は、焦りながら言葉を探した。
「僕にとって、あのルールは……『ガラクタだけでどこまでやれるか』っていう、挑戦そのものなんだ。それが僕たちの『魂』だと思ってた。お金で、新品のライトで解決しちゃったら……。僕らの『反乱』じゃなくなる」

ひかりは、僕の痛みを理解しようとするかのように、まっすぐに僕の目を見た。
「神木君」
彼女の声は、カフェにいた時よりも少しだけ、真剣な強さを帯びていた。
「神木君は、『ルールを守ること』が目的なの?」

僕は、息を飲んだ。

「わたしは違う」と彼女は続けた。
「わたしは、『この「たった一人のための物語展」を、最高のものにすること』が目的なんだけどな。あのライトの『光』があれば、神木君の壁画の『魂』は、もっと強く、その一人の心に届く。先生も『魂と形式の両方を満たせ』って言ってたじゃない」

目的と手段。
僕は、頭を殴られたような衝撃を受けた。
僕は、『ガラクタだけ』っていうやり方を守ること自体が、すごく大事だと思ってた。
だけど、ひかりは、『最高の展示を届ける』っていう、たったひとつのゴールしか見てなかった。
彼女は、目的のためなら、手段を変えることを恐れない。
僕は、やり方を守るために、目的の質を落とそうとしていたのかもしれない。

「……わかった」
僕は、喉の奥から、やっと声を絞り出した。
「高槻さんの言う通りだ。ライトを買おう。僕たちの……僕たちの『目的』のために」

「うん!」
ひかりは、満開の笑顔で頷いた。
「アトリエに戻る前に、もう一度ホームセンターに戻ろう! あのライトが、わたしたちの『反乱』の、新しい武器だよ!」

僕も、ひかりの笑顔につられて頷いた。
彼女の考えは、わかる。
合理的だ。
だけど、僕の心の奥底では、モヤモヤとした何かが消えずに残っていた。
お金という「外の世界のやり方」を受け入れた瞬間、自分の魂の、大切な何かが、すり減っていくような気がしてならなかった。

その「合理」の波は、ライトを買っただけでは止まらなかった。
再びホームセンターで眩いスポットライトを買い求め、学校への帰路についた時、ひかりがふと思い出したように言った。

「ねえ、神木くん。ついでに宣伝ポスターの材料も買わない? ほら、せっかくあのライトも買ったんだし、一人でも多くの人に見てほしいなって。他のクラスの出し物に隠れちゃったら、もったいないよ」

「神木くんの世界が、ちゃんとみんなに届くって証明したいの」

その瞬間、僕の中で、せっかく飲み込もうとした「合理」への納得が、音を立てて崩れた。
「……わざわざ呼び込む必要なんて、あるのかな。来たい人だけが、勝手に見つけてくれればいいと思うんだけど」

僕の声は、自分でも驚くほど素っ気なく、冷たかった。
ライトの購入は、「魂の質」を高めるための例外として受け入れた。
けれど、不特定多数の視線を引き寄せるための「宣伝」は、僕にとって、この聖域を土足で荒らす行為にしか思えなかったのだ。
多数の目に晒されれば、きっと僕たちの大切なものは汚されてしまう。
理解されないノイズに踏みにじられる

ひかりは一瞬、困ったような、それでいてどこか悲しげな顔をして言った。
「神木くんの世界が、ちゃんとみんなに届くって証明したいの」

「わかった……、いいよ。高槻さんがそう思うなら、やろう。同意するよ」
僕は彼女の顔を見ないまま、無理に声を和らげて頷いた。
それが、彼女を愛するために僕が自分に課した「蓋」の開け方だった。

しかし、ひかりは僕の表情をじっと見つめると、ふっと力なく微笑んだ。
「……ううん、ごめん。やっぱり、ポスターの話はやめよう。神木くんの言う通りだよね。ここは、静かなままでいよう」

「でも、高槻さんがやりたいなら……」
「いいの。私のわがままだったから。気にしないで」

ひかりはそれ以上、ポスターの話題を口にしなかった。
僕たちは、手に持った新品のライトの箱を揺らしながら、夕闇に包まれた校門をくぐった。
僕は、彼女が僕の頑なな美学を優先してくれたのだと思い、自分の「夜」が守られたことに、どこかで安堵していた。

アトリエに戻り、ひかりは黙々と作業に戻った。
スポットライトの箱を丁寧に開けているその横顔を、校庭の防犯灯の冷たい光が、不自然なほど白く照らしていた。

次話(31話)は5月末リリース予定

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